神様と聖霊様と御子は大きく二つの方法で行なわれる : Downloaded from http://god21.net [御言葉] 鄭明析牧師 [本 文]使徒行伝9章1~22節 1)さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 2)ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。 3)ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 4)彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 5)そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 6)さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。 7)サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 8)サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。 9)彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。 10)さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。 11)そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。 12)彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。 13)アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。 14)そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。 15)しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。 16)わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。 17)そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。 18)するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、 19)また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 20)ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。 21)これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。 22)しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。 民数記 22章13~33節 13)明くる朝起きて、バラムはバラクのつかさたちに言った、「あなたがたは国にお帰りなさい。主はわたしがあなたがたと一緒に行くことを、お許しになりません」。 14)モアブのつかさたちは立ってバラクのもとに行って言った、「バラムはわたしたちと一緒に来ることを承知しません」。 15)バラクはまた前の者よりも身分の高いつかさたちを前よりも多くつかわした。 16)彼らはバラムのところへ行って言った、「チッポルの子バラクはこう申します、『どんな妨げをも顧みず、どうぞわたしのところへおいでください。 17)わたしはあなたを大いに優遇します。そしてあなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。どうぞきてわたしのためにこの民をのろってください』」。 18)しかし、バラムはバラクの家来たちに答えた、「たといバラクがその家に満ちるほどの金銀をわたしに与えようとも、事の大小を問わず、わたしの神、主の言葉を越えては何もすることができません。 19)それで、どうぞ、あなたがたも今夜ここにとどまって、主がこの上、わたしになんと仰せられるかを確かめさせてください」。 20)夜になり、神はバラムに臨んで言われた、「この人々はあなたを招きにきたのだから、立ってこの人々と一緒に行きなさい。ただしわたしが告げることだけを行わなければならない」。 21)明くる朝起きてバラムは、ろばにくらをおき、モアブのつかさたちと一緒に行った。 22)しかるに神は彼が行ったために怒りを発せられ、主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた。バラムは、ろばに乗り、そのしもべふたりも彼と共にいたが、 23)ろばは主の使が、手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見、道をそれて畑にはいったので、バラムは、ろばを打って道に返そうとした。 24)しかるに主の使はまたぶどう畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。道の両側には石がきがあった。 25)ろばは主の使を見て、石がきにすり寄り、バラムの足を石がきに押しつけたので、バラムは、また、ろばを打った。 26)主の使はまた先に進んで、狭い所に立ちふさがっていた。そこは右にも左にも、曲る道がなかったので、 27)ろばは主の使を見てバラムの下に伏した。そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。 28)すると、主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。 29)バラムは、ろばに言った、「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」。 30)ろばはまたバラムに言った、「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。バラムは言った、「いや、しなかった」。 31)このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。 32)主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。 33)ろばはわたしを見て三度も身を巡らしてわたしを避けた。もし、ろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」。 ハレルヤ! 永遠でいらっしゃる神様の愛と、御子の愛と平安を祈ります。 神様と聖霊様と御子主が何かの目的を持って人を通して行なう時は、感動を与えて順理的に行なわせ、また私たちがやろうとしていることが神様の御心でなければ、私たちがやることを止めてだめにしてできなくして、神様と聖霊様と御子主の御心を成し、その人が願っていることを、よりよく成就するようにしてくださいます。 ‘感動を与えること’と‘御心でないことはだめにし、止めること’、これが、神様と聖霊様と御子主が「ちょっと待った!」とおっしゃって私たちを支え、助け、働きかける方法です。 大きく「この二とおり」に行なうということを学んで分かってこそ、三位の行なってくださることを誤解せず、不満を感じる状況でも感謝し、疎外感を感じず、むしろ感謝し、感嘆し、三位を一層愛するようになります。 生きる中でみんな経験したでしょう。 神様と聖霊様と御子主は<死ぬところ>なのに知らずに行くから、感動を与えて行けないようにし、<してはいけないこと>なのに肉性が強くて好きで続けるから、感動を与えてできないように止めます。しかし感動を与えても続けてやっていたとおりにするから、<二つ目の方法>で、「天使や人」を通してそのやっていることをだめにし、止めて、うまくいかないようにします。 ある人は、自分がどこかに行こうとしたけれども天が感動を与え、だめにし、止めたら「ああ!何かがあるのだな。何かの事情があるのだな」と思って聞き従い、感謝し、喜んで、行きません。しかしある人は、天がすべてを分かって行かないようにし、行なわないように感動を与え、だめにし、止めたら、自分の肉性で不平を言い、不満を漏らして行(い)ってしまい、行なってしまいます。 そうして害を受けてからは「神様はどうして助けてくださらなかったのだろう」と言います。自分が行(い)っておいて、やっておいて、神様に対して疎外感を感じます。 神様と聖霊様と御子主は私たちを愛するので、もっと考えて、くださいます。 また「天の御心」に合わせて、「もっとよくしてあげようとして」、自分中心にしていく道と自分中心にして行なうことを事前に分かって、だめにし、止めてくださるということを先に分かって感謝しなければなりません! 三位の前にはいつも「感謝、栄光、喜び、愛」です。 今日の御言葉を聞いて、‘この二つのこと’を分かったから、毎日忘れずに、祈る時もそのようにすると告白し、必ず自分にそのように働きかけてくださいと求めるべきです。 そしてこの二とおりに働きかけてくださったら、すべてを天の前に委ねて、三位を誤解することなく理解し、神様の御心も成して、自分の願いもよりよく成すことを祝福します。