人は言われても「必要性」を分かって悟ってこそ行なうようになる。 : Downloaded from http://god21.net [御言葉] 鄭明析牧師[本 文]詩編49篇20節文語訳「とうとき中にありてさとらざる人は、ほろびうする獣のごとし。」新改訳「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」 ハレルヤ!永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。 人が一カ所で同じく「貴重な御言葉」を聞いても、ある人は、行なって宴会をし、ある人は、行なえなくて恨(ハン)になって嘆く理由は、それがどれほど必要なのか分からなくて行なわないからです。 <必要性>が分かれば行ない、<必要性>が分からないから行なわないのです。やらないという人たちも<必要性>が分かったら早速行ない、急いで優先権でそれを行ないます。このように、人はいくら貴重なものでも、祝福でも、<必要性>を感じてはじめて行なうから、どんなことをするにしても、「そのことの必要性」を感じることが本当に重要です。 <宝が埋もれている畑>でも、その畑を買うべき「必要性」が分からなければ、半値で売ると言っても、どうしてそんなものを買うのかと理由をつけ、言い訳をして買いません。そうしていて知っている人が「その畑は宝が埋もれている畑だ」とはっきり話したら、その日、借金をしてでも、駆けつけて自分に売ってくれとお願いをします。だからやりなさいとばかり言わないで、<必要性>を言ってあげ、分からせてあげなければなりません。 みんな<自分>が神様と聖霊様と御子主にとってどれほど必要な人なのか、悟らなければなりません。そうすることで困難に打ち勝ち、三位が貴重にお使いになります。 人は「必要性」を悟ってこそ、理由をつけず、言い訳をせずに早速行なうから、<必要性>が分かるようにしてくださいと祈らなければなりません。 毎日「自分に該当する祝福」が通り過ぎます。 しかし「必要性」を感じられなくて、「自分のところに来た祝福」を蹴ってしまうから、今日の御言葉を脳に深く刻み、<必要性>を悟って行なって、人生の恨(ハン)を残さず、毎日<祝福の道>を行くことを祈ります。