三位が心配なさらないようにするためには、最後までやらなければならない。 最後までやってこそ、疑問も誤解も解け、損をしたものも得る。 : Downloaded from http://god21.net [御言葉] 鄭明析牧師 [本 文]詩編23篇5節  『あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。』 ハレルヤ!永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。 オリンピックの時、「最後までやった人」だけを認め、その中でメダルを与えます。最初と途中でいくら「一番」だったとしても、「最後までできず、途中で諦め、やめた人」にどうやってメダルをあげますか?「最後までやって結局勝利した人」がメダルをもらうようになります。 このように神様も<それまで労苦したことの対価>は「最後」にくださいます。だから最後までやらなければなりません。 聖書の人物たちも、最後までやったので、すべての疑問と誤解を解き、祝福を受け、太陽のように輝くようになりました。 <ダビデ王>もサウルからありとあらゆる患難・迫害・苦痛を受け、隣国から戦争の苦痛を受けましたが、最後まで神様を信じ、頼りました。 それで神様が共になさって、すべて勝利をし、国を平和に治めるようになり、どうしてそれまでサウルからそれほどにも苦痛を受けたのか、すべての疑問も解けるようになり、それまで耐え忍んだことの対価をもらうようになりました。そして<詩>で神様に告白しました。 <詩編23篇5節>『あなたは「わたしの敵の前」で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。』 <敵の目の前>がすなわち<最後>です。最後までやったら、最後に行ってすべてを報いてくださいました。 <ヨセフ>は「夢」のせいで兄弟たちから憎まれ、エジプトにまで売られていって、「奴隷生活」をしました。そこでまた異性の汚名を着せられ、「投獄」されました。獄に行って、獄に閉じ込められている人たちの「夢」を解いてあげ、結局「王の夢」まで解いてあげて、エジプトの深刻な問題を解決してあげ、このことによって「エジプトの総理大臣」になりました。 どんな患難と苦難にもすべて打ち勝ち、ただ神様だけに頼って愛して最後まで行(い)ったら、すべての問題が解決され、自分を憎みエジプトに売り払った兄弟たちが屈服し、神様の御心も晴らし、経緯も晴らし、願いも成就するようになりました。 このように、聖書の創世記から黙示録までを読んでみると、<最後までやった人たち>は過去の疑問がすべて解け、天に属したものだけではなく、地に属したものまでもらいました。 <最後までやらない人>は朝、家から出てきて用事をすませ、夕方、家に帰る途中やめて道ばたで寝る人と同じで、答えを得られず、無念にも疑問を抱いて荷を背負って生きるようになります。 みな最後まで行なって行かなければなりません。最後まで行なってこそ、疑問も誤解も解け、損をしたものも得るようになり、<神様の行ない>も見えるから、三位が心配なさらないように、最後まで行う皆さんになることを祝福します。