父神様も、御子イエス様も肉体を使って来られて、人を通して行なう。 時代の中心者を通しての救いの歴史だ。 : Downloaded from http://god21.net [本文]ゼパニヤ書3章17節マタイによる福音書2章6節ヨハネによる福音書5章24~25節 ハレルヤ!永遠でいらっしゃる父神様の愛と御子イエス様の平安を祈ります。 イスラエル民族は、神様が選んだ民族として4千年間神様を信じ、仕え、その御言葉を信じて、神様が来られることだけを待って生きていました。どの民族よりも神様が選んだ民族だという自負心を持って、苦痛も困難も耐えて希望で生きていました。4千年間、子孫代々、神様が直接、人間の目に見えるように来られると堅く信じて生きていました。 神様は全能でいらっしゃる霊の存在なので、地上に来られる時は「人間」を使って来られます。これは天倫の法則です。人間の霊も、肉の世界で働く時は、自分の肉を使って行ないます。 旧約以後、新約の時になって、神様は御子と共に「イエス様の肉体」を使って来られました。聖書に預言された通りに、神様が来られて行なうといったことを、なさいました。 ヨハネによる福音書1章14節で「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」とおっしゃった通りに、神様がその息子、御子を遣わして、御子が肉体として使ったイエス様を通しておっしゃいました。 そして、神様を信じて神様が来られることを待って希望していた人たちに対して、イエス様を通して祝福し、病気も癒し、人生の面談もして、救ってくださることもしました。神様は聖書で約束したすべてのことを、御子の体になるイエス様の肉体を通して、すべてしてくださいました。 イエス様は自分に従う人たちに、自分が神様の息子の体であることを話し、神様も御子も自分を通して現れて、話し、行なうと教えました。 「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」(ルカ10:22) 「わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。」(ヨハネ14:10) 「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。」(ヨハネ14:11) 「わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である」(ヨハネ14:24) 「あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから」(ヨハネ17:2) と言って、神様と御子が自分を通して働きかけるということを、御自ら教えてくださいました。 神様を信じて愛していた人たちが「神様の降臨」について間違った観を持っていたので、イエス様の肉体を通して御子を迎えることができず、残念にも神様を迎える希望が壊れ、迎えることに失敗しました。 ユダヤの宗教人たちがイエス様を罪人に仕立て上げるから、ピラトの法廷でイエス様をユダヤの宗教人たちに渡しました。結局、ユダヤの宗教人たちが望むとおりに、その時最悪の罪人に下す十字架の刑を下して、イエス様の肉体を殺してしまいました。しかし神様は、イエス様を不信し、迫害し、殺した者たちを滅ぼしませんでした。イエス様の犠牲で、イエス様を殺した者たちと万民の罪を贖うようにさせ、全人類を罪の中から救ってくださいました。その時イスラエル民族は神様が選んだ「代表民族」で、彼らがイエス様を不信したことが、すべての民族がイエス様を不信したことになったからです。 その時から神様は、御子がイエス様の肉を使って行なったことを信じ、万民の罪を代わりに背負って亡くなったイエス様をメシヤとして信じて従った人たちの肉と霊だけを救って、2千年間新約歴史を広げてこられました。これが、今日のカトリック、プロテスタントです。 初臨の時は、御子が「イエス様の肉体」を使って、この地上に来られました。再臨の時も、初臨の時と同じく、同時性的な歴史が起こります。 今日の御言葉を聞いて、神様が遣わした人の肉体を迎えられなくて、神様も御子イエス様も迎えられず、みんな失敗したということを悟ることを願います。