聖霊の感動で行ないなさい : Downloaded from http://god21.net [本文] ヨハネによる福音書14章26節 26)しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 ヨハネによる福音書16章13節 13)けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 使徒行伝4章8~14節 8)その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、 9)わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、 10)あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。 11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。 12)この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。 13)人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、 14)かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。 使徒行伝13章9~12節 9)サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて 10)言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。 11)見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。 12)総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。 ローマ人への手紙8章26節 26)御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 コリント人への第一の手紙2章10~16節 10)そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。 11)いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。 12)ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。 13)この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。 14)生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。 15)しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。 16)「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。 コリント人への第一の手紙12章4~11節 4)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 5)務は種々あるが、主は同じである。 6)働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。 7)各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。 8)すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 9)またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 10)またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。 11)すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 ガラテヤ人への手紙5章16~18節 16)わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。 17)なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。 18)もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 エペソ人への手紙6章18節 18)絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 ハレルヤ!永遠でいらっしゃる、聖なる父神様の愛と御子の平安を祈ります。 「感動」と言うと、聖霊様の働きかけと感動が一番先に浮かびます。 聖霊様の特性は「感動の御力」です。私たちが何かをするとき、聖霊様は私たちの心に感動を起こして、そのことをするようになさいます。そして聖霊で熱く感じるようにして、行なうようになさいます。 三位一体には、神様と御子と聖霊様がいらっしゃいます。聖霊様は三位一体の中の一存在で、女性神であり、天母でいらっしゃいます。 どんなことをするにしても、聖霊の感動を受けてこそ、やりたい気持ちが強くなってやりたくなるし、そうすることで簡単に易しく行なうようになります。誰でも、数十回も数百回も、聖霊の御働きを体験したでしょう。 聖霊様は私たちの心に感動もくださり、ひらめいて悟るようにしてくださって、働きかけます。感動を受けたら、誰かに言われなくても如実に感じるようになり、心と精神と考えで鮮明に悟るようになって、そのことがやりたくなります。 あることに見舞われる前に先に感じられて、避けるべきことならば避けるようにしてくださり、すべきことであるならばそのことに関する感動が来て、やりたくなります。 <感動>は聖霊様だけではなく、神様と御子主も起こしますが、<御言葉>で起こします。御言葉を伝えることで感動を起こします。 だから壇上で神様と御子の御言葉を伝えるとき、その御言葉を聞いたら、その御言葉に従って感動を受けるようになさいます。 御子お一人で行なっても、聖霊の御働きはいくらでも起こります。聖霊様だけが聖霊の御働きを起こすのではないということを認識することを願います。 いつも聖霊の大きな感動を受けて御言葉を一層悟るためには、聖霊様と御子とどんどん近くし、交通し、呼ばなければなりません。また、聖霊様と御子の体になって行なう使役者と交通をしなければなりません。 また、悔い改めの祈りを深くしてきれいにし、様々な祈りを一層深くするためには、聖霊の感動を一層熱く受けなければなりません。そして自分が深く祈って、計画的に自分の矛盾を直していき、自分の行ないを完全にしなければなりません。 御言葉を聞いて、祈りを深くたくさんしたら、自分が何かを決めるとき、聖霊で感動を受けて、考えが浮かんできます。そのことを行なうのです。どんなことでもそのように行ないなさいということです。 みんな「聖霊の感動」で行ない、「御子の御言葉」で行うことを願います。