探し見つけることが宝だ。 正しい方向から見てこそ、見える。 : Downloaded from http://god21.net [御言葉]鄭明析牧師 [本 文]箴言1章7節 7)主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。 マタイによる福音書5章48節 48)それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 ハレルヤ! 永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と、御子の平安を祈ります。 今日の御言葉の一つ目の主題は「探し見つけることが宝だ」です。 新しいものを下さいとばかり言わないで、探して見つけなければなりません。 新しいものを探して見つけることが宝であり、探し見つけるそれ自体が宝です。新しく他(ほか)のものを得ることも宝ですが、既にあるものの中から新しいものを見つけることも宝です。 このように、神様も、聖霊様も、御子主も、探し見つける人の宝です。その意味と価値をより深く見つける人にとっては最も大きい宝になります! 二つ目の主題は「正しい方向から見てこそ、見える」です。 岩の形象を見ようとするならば「ちょうど正しい方向」から見てこそ、正確に見えます。 これと同じく、万事、他のことも、正しい方向、正しい位置から見て行なわなければなりません。 神様も、聖霊様も、御子主も、正しい位置と正しい方向から見てはじめて「心情一体、御言葉一体」になって、感動し、感じ、悟れ、感嘆し、神秘的に美しく見えます。 聖書の御言葉も、「方向」によって、「説明」によって、預言者か、中心人物か、メシヤか、御子主か、聖霊様か、神様かが分かるようになります。 非論理で違う方向から見たら、「神はいない。神様はいない」と言うようになり、「聖霊様はいない。聖霊は一つの神の神性を言う」と言うようになり、「イエスがどうやってメシヤか」と言うようになります。正しい方向から見てこそ正しく見えるのに、ほかの方向から見るから、そうなのです。 <時代の御言葉>も正確な方向と位置と角度で聞いてこそ、「地上に遣わした使命者」のこともよく見て、正しく悟るようになります。「神様」のことも、「聖霊様」のことも、「御子主」のこともそうです。 誰でも考えの次元を上げた分だけ、隠れている宝を見つけ、隠れている次元の高い真理も悟り、時代に従って成すべきことも成すようになります。 今日の御言葉を通して<方向の恵み>を受けて、数百通りを悟り、「聖霊に満ち、真理に満ち、変化に満ち、交通に満ち、愛に満ちること」を願います。