計算を間違えたら違った世界だ : Downloaded from http://god21.net [御言葉]鄭明析牧師 [本 文]イザヤ書55章8~9節(神様の計算は違う) 8)わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。 9)天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。 ルカによる福音書14章31節 31)また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。 ハレルヤ! 永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安を祈ります。 <言語>は同じことを見ても表現する方法が「色々」です。 例えば、人が死んだら「死んだ、永眠した、お亡くなりになった、お箸を置いた、この世を離れた、この世と別れた、寿命を全うした、故人になった」などなど表現する言葉は色々です。 しかし、<数学>は問題の答えが世界共通で、「一つ」しかありません。 「3+3」の答えは「6」です。どちらから計算しても答えは「6、一つ」です。「3-3」の答えは「0」です。どちらから計算しても答えは「0、一つ」です。 「お金」で考えながら、見てください。 掛けるべきなのに足したり、掛けるべきなのに引いたら、とてつもなく損をします。掛けるべきなのに割ったら、もっとすごく損をします。 また、引かなければならないのにそのままにしたり、足してしまっても、ものすごい金額の差があります。また、後ろに数字をもう一つ書いたり、書かなかったりすれば、ものすごい損をします。計算を間違えたら、完全に違った世界です。 「足す、引く、掛ける、割る、そのままにしておく」に関する数学の法を分かって計算をちゃんとやってこそ、損をしません。人生を生きる時も、信仰生活をする時も同じです。成功するためには、熱心に行ない、努力もし、計算もちゃんとしなければなりません。 しかし自分は自分の問題をよく計算できません。肉性で考え、あるいは環境の制約を受けて考え、脳が凝り固まっていて、次元が低くて、心理的に目に見えるものに揺れて、計算がよくできません。だから、祈ることで自分の事情を告げて、神様と聖霊様と御子主が計算してくださいと言って、その考えで行なわなければなりません。そうすると、やりさえすれば「幸せ」であり、「祝福」です。 私たちが計算することと御子主が計算することは違います。なぜならば、私たちは一部思い出せることいくつかだけを入れて計算しますが、御子主は善と悪の見えることと見えないことまですべて入れて計算なさるから、私たちが計算したのとは違う答えが出てきます。 生活しながら、自分中心、自分の考え、自分の認識で計算を間違えたら、それまでものすごく苦労しておいて、ものすごく大きな損をこうむるようになります。計算を間違えて、掛けるべきなのに引いたから、とてつもなく違う答えが出るようになったのです。だから毎日明け方に祈って、御子主が計算してくださったものをもらわなければなりません。 「計算を間違えたら違った世界だ。」この御言葉を毎日脳から忘れないで、計算すべき問題があるたびに必ず祈って、御子主が計画したことがあるから、計算するとき、それも一緒に入れて計算するようになれば、運命が変わる計算法が出てきます。 「計算をちゃんとしなさい。計算を間違えたら違った世界だ」永遠な黄金の宝のようなこの御言葉をみんな脳ではっきり覚えて、命のように思わなければなりません。