経済散策 by ポケット

RGO24の’ポケット’記者と共に歩く「経済散策」・・・経済の生きた本になって経済を通した神様の摂理歴史を証するためにペンを取りました。主と共に美しく神秘的な天国の経済散策路を歩いてみませんか?

칼럼_연재칼럼_経済散策

保守と進歩の観点での生と信仰

第19代大統領選挙
第19代大統領を選ぶ選挙が5月9日に確定し、大統領選挙の熱気が高まっている。ところで、その中心は保守と進歩をめぐる熾烈な論争が占めている。各党の大統領選候補者は、自分と自分の党だけが山積した課題を今後解決できる真の保守であり、真の進歩だという主張を前面に出している。
一体保守が何で、進歩が何だから、こんなに騒がしいのか?ややもするとあいまいになってしまう保守と進歩論争の中で、これまで韓国の政治が見せてきた野合と反覆が繰り返されるかと思って心配だ。そうなれば、再び国民は「そのナムルにそのご飯(訳注:「かわりばえのない組閣」の意)」という嘆きと共に、政界に対する失望を消すことができないだろう。

保守と進歩とは何か?
我々は保守と進歩を指して互いに敵対する思想程度に考えるが、実際、保守と進歩は互いにかみ合っている相対的概念と言える。一方を何かだと定義すると、もう一方は自動的にその意味が決まるからである。
保守と進歩とは、生活方式、社会制度の変化に対応する精神的な態度のことをいう。現在存在するすべての社会制度は、過去のある時期にその社会を支配していた精神的態度と事由の産物である。ところが、生活環境は継続的に変化するため、社会は絶えず現実により適合した精神的態度と事由を要求する。
このとき進歩主義性向を持つ人々は、生活環境の変化が要求する新たな視点や考え方、そしてそれに伴う制度調整の必要性を積極的に受け入れ、実践しようとする精神的な態度を示す。つまり、進歩とは既存の政治、経済、社会体制に対抗しながら、変革を通じて新たに生を変えようとする傾向である。一方、保守とは慣れているものを守るために変化を拒否する態度である。つまり、伝統の価値を重視し、既存の社会体制の維持と安定的な発展を追求する思想である。

なぜ保守主義者になり、進歩主義者になるのか?
では、なぜ誰かは保守主義者になり、誰かは進歩主義者になるのか?これは生活環境の変化を受け入れる姿勢の違いのせいである。
生活環境の変化に強くさらされて、それを緊急な状況と認識する人ほど、新しい思考を簡単に受け入れて、進歩主義者になる。一方、保守主義者は、既存の支配的視点と生活様式にそのまま従おうとする。
主に金持ちで、権力がある人が保守的な性格が強いが、概して我々の社会では政治家、上級公務員、宗教指導者、財閥総帥とその家族、企業経営者と役員、大学教授、大手新聞社とTV局幹部が保守的だと言える。彼らはあえて多くのエネルギーを消耗しながら生活様式や考え方を変え、調整しなくても生きる上で特に支障がないので、既存のものを維持しようとするのである。
ところが、お金がなく貧しい下位所得層の人々も保守的な態度を示す場合が多い。金持ちとは違って貧しい人が保守的なのは、あまりにも貧しいあまり、革新を考える余裕がないからである。結局、豊かな人は今日の状況に不満を感じる機会が少ないから保守的なのであり、貧しい人は明日を考える余裕がないから保守的なのである。
それで、どの社会でも、生活環境の変化にある程度プレッシャーを感じながらも、考える余裕がある中産層が最も顕著な進歩主義性向を示す。
また、概ね高齢層が青年よりも保守的である。若者は既存の制度や精神的態度にさらされた期間が短く、知的活動が比較的盛んで、既存のものに対する執着が少なく、それを変えるために使える精神的エネルギーが豊富なため、進歩的性向を示す。
一方、加齢と共に既存の思考はより強力な持続性を持ち、それを変えるために使える精神的エネルギーが不足するにつれて保守的に変わる。程度の差はあるが、加齢と共にますます保守的に変化するのは、生物学的に必然だと言える。
ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は、「25歳の時に自由主義者でないなら心臓が無いのであり、35歳の時に保守主義でないなら頭が無いのだ」と言った。これをもじって哲学者カール・ポッパー(Karl Popper)は「若くてマルクス主義者でないなら心臓が無いのであり、年を取ってもマルクス主義者でないなら頭が無いのだ」と言った。これを変形して「若くて進歩主義者でないなら心臓が無いのであり、年を取っても進歩主義でないなら分別が無いのだ」と言う人もいる。とにかく、加齢と共に保守的な傾向が強くなることは間違いない事実である。

右派と左派

人々はよく保守を右派(right)、進歩を左派(left)と呼ぶ。これは1789 年のフランス革命直後に開催された国民議会に由来している。国民会議の議長席の左側には王政を倒してフランスを根本的に変化させようとする「共和派」が座り、右側には以前の王政体制を維持しようとする「王党派」が座っていたからである。
このような席の配置は、ルイ16世が処刑された後、開かれた国民公会(1792 年)の時も同じだった。庶民を代弁し、急進的変化を主張する「ジャコバン派(Jacobins)」が議長席の左側に座り、富裕層を代表し、漸進的変化を図る「ジロンド派(Girondins)」が議長席の右側に座った。
この時から急進的で改革的な性向を示す進歩勢力を「左派」と呼び、漸進的で保守的な性向を持つ保守性向を「右派」と呼ぶようになったのである。
ところで韓国の場合、解放後、南は右派、北は左派に分かれて民族が分断された。このような状況で朝鮮戦争を経験したため、人々の認識において「左派」はつまり北朝鮮を示す言葉になってしまった。だから過去の政権は、政府に反対し抵抗する人々を「左派」、「左翼」、「アカ」だといって追いやったのである。

経済における保守と進歩 
ところで、経済学も志向する価値観によって保守と進歩に分かれる。保守はすべてのことを市場原理に委ね、政府の干渉を排除することで、自由な経済活動を奨励する。いわゆる市場と資本主義体制を積極的に擁護する新古典派経済学理論が保守に近い。
彼らは個人が富を蓄積できるように政府は自由に放任すべきだと主張する。皆が富を得ようと懸命に努力する過程で、同時に国も豊かになると信じているからである。しかし、自由に富を蓄積するように放っておけば、金持ちと貧しい人、雇用者と労働者の関係は永遠に変わらない。これによって、経済的不平等はより拡大するしかない。
逆に、進歩は自由な市場経済体制の問題点を克服するために、国が経済に介入すべきだと主張する。進歩は人々の間に存在する不平等をなくしたり軽減したりできると信じているため、国が経済活動に介入して富を均等に分配すべきだと主張する。

保守と進歩の均衡
現在社会で公認され、通用する生活様式は、正しいもの、善なるもの、適切なもの、美しいものが何なのかに関する社会的合意をもとに構成されている。ところが、生活環境が変化する時、それがもたらす衝撃がすべての個人に同じく伝わるわけではない。保守主義性向の人々はこのような衝撃を容易に受け入れられず、既存のものを維持しようとする。一方、進歩主義性向の人々は意識的に変化を志向する。
ところで、このような変化を受け入れられない保守主義者だけが生きる世の中ならば、決して革新は成されえない。そのような社会は存立自体を脅かす深刻な環境変化に適応できず、崩壊するだろう。逆に、保守主義者がいなくて、進歩主義者だけがいるとしたら、その社会は安定性を失ってしまう。生活環境のわずかな変化さえも制御できない社会的混乱と政治的革命に発展しうるからである。
だから社会が健全に発展するためには、保守と進歩の両方が本来の機能を果たしながら、適切な均衡を成す必要がある。飛んでいく鳥に大事なのは、右側、左側の翼が両方とも完全に本来の機能を果たすことである。社会発展にとって保守が求心力だとしたら、進歩は遠心力ということになる。
政治も同様である。保守政党と進歩政党が牽制しあい、均衡を成す時、民主政治は発展する。各政党が自らの政策について意見を交換し、議論することは、民主政治発展のための当然のプロセスである。ただ保守政党と進歩政党のうちどちらが正しいと判断する前に、国民の多様な考えを政治に反映することができる政党の存在が重要である。

信仰の保守と進歩
人間は霊魂肉で存在する。あえて保守と進歩のフレームに霊と肉を代入してみるとしたら、我々の霊は神様の御言葉に従って絶えず次元を上げていこうとする進歩的性向を持つ存在である。一方、我々の肉体は既存の習性と快適さを追求しようとする生物学的本能を示す保守的性向の存在である。
しかし、既存の快適さに浸っていては絶対に生が変化することはできない。したがって、この時代に新たに宣布される神様の御言葉で生の態度を直そうとする絶え間ない努力が必要である。ただし、その過程である一方に偏った不均衡な生ではなく、均衡の取れた生が重要である。
そのためには、神様が宣布なさる新しい時代の御言葉を受け入れられる進歩的態度が前提である必要がある。旧約という既存の認識観にとらわれて「イエス」が伝える新約の新しい思想を受け入れられなかったパリサイ人、サドカイ人のような保守的な態度は、明らかに警戒すべき対象である。
鄭明析牧師は、人間の霊• 魂• 肉は互いに独立した存在ではなく、互いにかみ合って存在しており、どんな考えを持つかによって我々の行いが変わり、そのような行いの変化によって霊の救いが左右されるとおっしゃった。
個人の生だけでなく社会全般において新しい変化を渇望する今日、果たして自分は保守主義者なのか、進歩主義者なのか?一度くらいは深く考えてみるべき問題である。



조회수
1,524
좋아요
0
댓글
13
날짜
2017/04/09