経済散策 by ポケット

RGO24の’ポケット’記者と共に歩く「経済散策」・・・経済の生きた本になって経済を通した神様の摂理歴史を証するためにペンを取りました。主と共に美しく神秘的な天国の経済散策路を歩いてみませんか?

칼럼_연재칼럼_経済散策

選挙をすべき理由

民主主義の花「選挙」
第19代大統領選挙が目前に迫っている。大統領は国民に代わって国の財政を運営する代表者であるため、国民によって選ばれる選出職である。つまり、すべての国民が直接政治に参加することはできないため、国民は選挙を通して代表を選び、代表に選ばれた代表者が、国民に代わって政策を決定し、国の仕事をするのである。

そうすることで、民主主義国家の国民であれば、選挙を通して自分の意見を政治に反映させることができる。言い換えると、選挙は国家の主人である国民が、自分の権利を正当に行使して政治に参加することができる最も基本的で簡単な方法である。だから、選挙を「民主主義の花」と呼ぶ。

コンドルセの逆説(Condorcet's paradox)
しかし、民主主義で採用している多数決意思決定方式は、経済学的に見ると一部欠陥があるとも言える。
まず、フランスの政治理論家であるコンドルセ(Marquis de Condorcet、1743〜1794)の名前を取って「コンドルセの逆説」(Condorcet's paradox)または「投票の逆説」(voting paradox)と呼ばれるものがある。コンドルセは、多数決によって多数が望む候補を選択する際に、一貫性の観点から問題が発生しうると指摘した。これは、多数決によっては移行性(transitivity)がある社会的意思決定ができない可能性があるということである。ここで移行性とは、AをBより好み、BをCより好むなら、必ずAがCより選好されるはずだという意味である。
簡単な例を挙げてみよう。ある会社で同じ部署に勤務するキム部長、オ課長、チェ代理3 人で一緒にランチをすることにした。ところで、この三人は食べ物の好みが違う。彼らの選好は以下の通りである。
キム部長:日本料理> 韓国料理> 中華料理
オ課長:中華料理> 日本料理> 韓国料理
チェ代理:韓国料理> 中華料理> 日本料理
結局、三人は合理的な意思決定のために投票で食事のメニューを選ぶことに決めた。ところで、日本料理を韓国料理より好む人が二人(キム部長、オ課長)であり、韓国料理を中華料理より好む人も二人(キム部長、チェ代理)である。また、中華料理が日本料理より好きな人も二人(オ課長、チェ代理)になる。
したがって、多数決の原則に基づいて、日本料理と韓国料理の中では日本料理を、韓国料理と中華料理の中では韓国料理を、中華料理と日本料理の中では中華料理を選択することになる。すると結局、「日本料理> 韓国料理> 中華料理> 日本料理」という矛盾によって正しい決定を下すことができなくなる。投票による民主的な選択の試みが、合理的な結果につながらないのである。これを拡大してみると、国家的な大事を決定する選挙においても、国民の選好が正しく把握されていない場合、合理的な意思決定ができない可能性があることを示唆している。

ボルダの逆説(Borda's paradox)
一方、コンドルセと同時期に生きた数学者ボルダ(Jean-Charles de Borda)は、多数決によって選出された候補者が、多数が最も望まない候補者になるという矛盾した状況が発生する可能性があることを提示した。
簡単な例を挙げてみよう。同じ大学、同じ学科の友達7 人(A〜G)が英語を学ぶために、アメリカ、イギリス、オーストラリアのいずれかの国を選択して、語学研修に行こうとしている。ところが、彼らは互いに意見が一致しないため、投票で研修先を決定することにした。彼らがそれぞれ選好する国は次の通りである。
A:アメリカ> イギリス> オーストラリア
B:アメリカ> イギリス> オーストラリア
C:アメリカ> イギリス> オーストラリア
D:イギリス> オーストラリア> アメリカ
E:イギリス> オーストラリア> アメリカ
F:オーストラリア> イギリス> アメリカ
G:オーストラリア> イギリス> アメリカ
今、彼らが多数決によって最も行きたい国を選んだ場合、アメリカ(3 票)、イギリス(2 票)、オーストラリア(2 票)となって、アメリカに決定される。ところが、逆に最も行きたくない国を選ぶ投票をすると、アメリカ(4 票)、オーストラリア(3 票)、イギリス(0 票)となり、今回もアメリカになる。したがって、「最も行きたい国= 最も行きたくない国」という矛盾した結果が示されるのである。
このような点を補完するために、ボルダは有権者の選好度に応じて候補に順位を付けて投票する方法を提案した。例えば、1 位は10 点、2 位は9 点、3 位は8 点などと計算し、最終的な点数が最も高い候補が当選する方式である。現在アメリカのメジャーリーグでMVPを選定する時、このような方法を使用している。しかし、この方式も多様な選好度を反映するという長所はあるが、何度も1位を取った候補が一度も1 位になれなかった候補に総点で劣る現象が発生することがあるため、完全に合理的だと見ることは難しい。

アローの不可能性定理(Arrow's Impossibility Theorem)
この他にも、1972年にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー(Kenneth J. Arrow)は、民主主義が前提とする合理的意思決定が全く不可能であることを数学的に証明した。彼は1951年に「社会的選択と個人の価値(Social Choice and Individual Values)」という論文で、多数決による意思決定が決して合理的ではないことを明らかにした。これを「アローの不可能性定理(Arrow's Impossibility Theorem)」という。
アローの不可能性定理は、投票制度が社会的選択手段として完璧ではないということを示した。例えば、ランチの場所を決める上記の事例で、最終決定は最も地位が高いキム部長の思い通りに決まる確率が高いのである。
では、政治経済学的な観点でこのように投票が不完全なのにもかかわらず、選挙を必ずする必要があるのだろうか?ただ選挙権を行使せずに中立を保ってはいけないのか?しかし、投票権というものがただで得られたものではないという事実を知っているなら、投票権を行使することが民主主義市民としての望ましい姿勢である。

チャーチスト運動:労働者の選挙権
イギリスでは1832年に選挙法が改正された。選挙法の改正を通じて不合理な選挙区をなくし、選挙資格を緩和して、大部分の中産階級に選挙権を付与した。しかし、労働者階級に対する投票権付与は一切議論されないまま排除された。スズメの涙ほどのわずかな賃金で一日14 時間に迫る重労働に苦しんでいた労働者階級の期待は粉々に砕けた。
結局、イギリスの労働者は、1830年代半ばから、経済的・社会的に積もった不満と共に選挙権獲得に対する要求の声を上げていった。彼らは議会の改革を要求し、成人男性の普通選挙権をはじめとして、無記名投票、議員に対する歳費支払い、選挙区の平等、議員の財産資格の撤廃などを盛り込んだ人民憲章(People's chart)の請願を1839年、1842年、1848年の3回に渡って行なった。これをチャーチスト運動(Chartist movement)と呼ぶ。
しかし、議会はこのような労働者の請願を拒否し、指導者を逮捕した。しかし、時間が流れ、1867年2次選挙法改正が行われると共に、大部分の都市賃金労働者に選挙権が与えられた。それから5年後の1872年には秘密投票まで保証され、既存の権力者による賄賂や圧力による投票慣行が消えるなど、選挙制度と文化が先進化する様子が見られた。1884年第3回選挙法改正では、その対象が農民にまで拡大した。

このような変化の背景には、チャーチスト運動で示した労働者の力と声があった。チャーチスト運動の指導者だったジョセフ・スティーブンソン牧師は言った。「私にとって普通選挙権はフォークとナイフのように生活に密着している。すべての労働者が良いコートをまとい、家族全員がまともな家に住み、ちゃんとした食事をする権利があることを意味する。」

エミリー・ディヴィソンの犠牲:女性参政権
イギリスで女性に参政権が初めて与えられたのは、1918年である。それさえも30歳以上の女性にのみ投票権が与えられた限定的な女性参政権だった。
しかし、このような限定的参政権を得るまでにも、一人の女性の犠牲があった。1913 年、ロンドン南部で行われた競馬大会で暴走するように走る競走馬の前に一人の女性が身を投じた。彼女の名前はエミリー・ディヴィソン(Emily Wiling Davinson、1872〜1913)である。倒れた彼女のコートには「女性に参政権を」と書かれていた。4 日後、彼女は病院のベッドで息を引き取ったが、イギリスの女性たちは巨大なデモ行列をつくってディヴィソンの葬儀を行い、この事件は結局、イギリスの女性参政権獲得を早めるきっかけになった。

セルマ-モンゴメリー行進:黒人参政権
1965年3月、アメリカのアラバマ州セルマ(Selma)では、黒人投票権争奪のために州議会があるモンゴメリー(Montgomery)まで、3 回の行進が始まった。これを「セルマ-モンゴメリー行進(March from Selma to Montgomery)」というが、3月7日、3月9日、3月21日に三回にわたって行われた。
当時、アメリカのアラバマ州セルマの人口の半分を占める黒人は、差別と脅迫によって投票権を保証されず、黒人はこのような状況を議会に知らせようとした。そのため、1965年3月7日、約600人の黒人がアラバマ州セルマを出発した。明らかに非暴力抵抗運動であった。しかし、武装した警察はデモ隊をこん棒で攻撃した。この日の警察の無差別攻撃は「血の日曜日」という表現を使うほど無慈悲で暴力的だった。
1 次行進が「血の日曜日」となって失敗すると、当時アメリカの黒人人権活動家でノーベル平和賞まで受賞したマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)牧師がセルマに来るようになり、3月9日、2 次行進を行なった。この時、多くの人が2 次行進に参加したが、再び失敗してしまう。2 次行進を試みた後、デモに同調した白人民権運動家ジェームス・リーブ(James Reeb)が白人人種差別主義者たちから攻撃を受け重傷を負ったが、地域の各病院が治療を拒否したため、3月11日に死亡する事件も起こった。
そして3月21日に、戦列を再整備した行進隊が再び3次行進を行い、結局はモンゴメリーまで行進することに成功するようになる。この行進の結果、1965年8月に黒人の参政権の制限を禁止する連邦投票法が可決された。

ただで与えられるものはない
このように、民主主義社会において選挙権は天からただ落ちてきたものではなく、市民によるより良い生活のための闘争と、その過程での犠牲によって得られたものである。従って、自分に与えられた貴重な一票を行使すべきではないだろうか?自分が行使できる一票は、自然に、そしてただで得たものではないからである。
同様に、救いと引き上げもただで得られたものではない。まさに主の血の涙の祈りと犠牲があったからこそ可能だったのである。しかし、このような事実を忘却したまま、自分が現在享受している救いと引き上げの祝福を当然のこととして受けとめる時、簡単にあきらめるようになる可能性がある。まさに選挙権の貴重さを知らないままただ無視してしまうようなことだ。
ダンテ(Alighieri Dante)は言った。「地獄で最も熱い場所は、政治的激変期に中立を保った者たちのために備えられている。棄権は中立ではない。暗黙的同調だ。」自分に与えられた選挙権を放棄することが、引き上げを放棄することと大差がないと言うなら、行き過ぎた解釈だろうか?選挙権行使!それはまさに我々の生活のためのものなのである。

 

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날짜
2017/05/05