経済散策 by ポケット

RGO24の’ポケット’記者と共に歩く「経済散策」・・・経済の生きた本になって経済を通した神様の摂理歴史を証するためにペンを取りました。主と共に美しく神秘的な天国の経済散策路を歩いてみませんか?

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離れる時と留まる時

兎死狗烹 

「兎死狗烹(狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる)」とは「 狡猾なウサギが死ぬと猟犬は煮られる」という意味である。つまり、狩りをしにいってウサギをつかまえたら、狩りをしていた犬は使い道がなくなって煮て食べるということであり、いざという時に使って、使い道がなくなると酷にも捨てるという意味で広く使われている。
 
「兎死狗烹」という言葉は、中国の春秋時代末期、越国の名臣「范蠡(はんれい)」が初めて使った。その後、「劉邦」が天下を再統一する際に決定的な手柄を立てた漢の三傑の一人である名将「韓信」も使ったが、それより前に韓信の策士「蒯通(かいつう)」が警告としてこの言葉を使うこともあった。
 
范蠡は自分と共に越国の王「勾践(こうせん)」を補佐し、呉国との決戦で勝利を収める上で決定的な手柄を立てた功臣「文宗」に一緒に引退することを勧める時、この熟語を引用した。一方、韓信は時期を逸して劉邦に捕えられ、死ぬ直前に空を見上げながら嘆くようにこの言葉を繰り返した 。

二人共、歴史上名声を残した人物で、范蠡は忠臣の見本だったし、韓信は股ぐらをくぐる恥辱(袴下之辱)に耐え、名将になって名を揚げた。二人共、その功績が主人を震わせるほど大きかった功臣だったが、彼らの最後は天と地ほどにも違っていた。彼らの運命は一体どうして分かれたのだろうか?
 
時を分かって決断し、離れた人
 時を分かって離れる人の後ろ姿は美しいという言葉がある。特に退くべき時を分かる人の後ろ姿は尚更である。呉国を滅ぼし、版図を覆した越国の王「勾践」は、范蠡を最高の功臣である上将軍に任命した。しかし、范蠡は勾践を信用できない人物だと判断して、家族と共に船に乗って越国を脱出する。
 
斉国に隠居した范蠡は、自分と共に勾践を補佐した功臣「文宗」を心配し、「鳥の狩りが終わると良い弓も隠され、狡猾なウサギを全部つかまえると、猟犬を煮て食べる。」という内容の手紙を送って、文宗に勾践を避けるよう忠告した。范蠡の手紙を受け取った文宗は胸がどきりとしたが、越国を離れるのをためらっているうちに、結局、勾践に反逆の疑いをかけられ自決してしまう 。
 
このように、范蠡と文宗は瞬間のためらいの差によって運命が完全に分かれた。以後、范蠡は斉国や他国を転々としながら、商業活動を通して大きく成功した。このような彼の選択について「史記」の著者「司馬遷 」は「范蠡は離れたことだけではなく、留まった場所でも例外なく名を轟かせた」と論評した。彼が退く時を分かって、適時に退いたので得られた評価だ。
 
決断できずにためらった人
これに対し、韓信は韓の将帥であり「張良」、「蕭何(しょうか)」 と共に漢の三傑の一人である。劉邦を助け「項羽」を破って「四面楚歌」という有名な故事を作るほど劉邦が漢の高祖になる上で決定的な貢献をした功臣中の功臣である 。
 
ところが、高祖になった劉邦は韓信の才能と彼の勢力を警戒する。その間に韓信の参謀蒯通は韓信に自立して王になることを勧め、劉邦の命令を続けて聞いていくと、いつかは大きな危険に陥るだろうと警告する。蒯通は韓信を説得する過程で、時が来たら、果敢に行動することを勧める。
 
「天が与えても受けなければ、かえって罪を被り、時が来たのに果敢に行動しなければ、かえって災いを受けると言いました。深く考えてください。」

「知恵は果敢に判断を下させ、疑いは行動を妨害します。...虎がためらっているのは、蜂が唾液で刺すのに劣り、駿馬が行くかどうか躊躇するのは、老馬ののろい一歩に劣ります。...舜王や禹王のように知恵があるとしても、口の中でつぶやくだけで吐き出さなければ、口のきけない人や耳が聞こえない人が指揮するより劣ります。」

このように蒯通は韓信の決断を促すが、韓信は最後まで彼の言うことを聞かない。どうしても劉邦を裏切ることができない上に、自分の功労があまりにも大きいから劉邦が自分をどうしようもできないと考えたからである。しかし、劉邦が皇帝に即位して2年目、誰かが韓信が謀反を図っているという報告を上げ、このため韓信は地方の諸侯に封じられる。そして数年後、韓信は反乱の濡れ衣を着せられ、劉邦の妻「呂雉(りょち)后」に誅殺されてしまう 。
 
首を切られる前、韓信は最後にこのような後悔の言葉を残した。「私がかつて蒯通の提案を受け入れなかったことが悔やまれる!」
 
留まる時と離れる時を知ること、古いものを葬る知恵
同じ功績を立てたが、自分が離れる時を分かった范蠡とそうできなかった文宗と韓信、彼らの運命は結局、離れる時を分かって決断したかしなかったかの差によって分かれてしまった。
 
このように離れる時を知ることは大きな知恵だ。他人の家を訪問した時、その主人が帰ってほしいと思っているのにずっと居座っているのは礼儀知らずである 。一方、もう少しいてほしいと思っているのに薄情にも席を立つのは情のないことである。これと同じく私たちの人生も退く時と進む時を見分けることができなければならない。人生を生きながら進退の選択を誤ったら、大恥をかくこともあるし、人生に大きな汚点を残すこともある。
 
これは、自分の古い考えや習慣を捨てられず、得るべき新しいものを得られず、新たな次元に進み出られないことと一脈相通ずる。伯父「ラバン」の家があるパダン・アラムで20年留まった「ヤコブ」が、ある程度安定したと考えてその場所を離れることなく一生生きたとしたら、ラバンと共に偶像崇拝をして終わったかもしれない。経済現象と現実を説明する経済理論だけを見ても、既存の枠組みを捨てられなければ、変化する新しい現象を説明できないし、投資の世界でも、過去に縛られているうちに新たな機会をつかめず、より大きな損害を被ることになるのと同じ理致である。
 
特に地位や権力のある人は、進む時と退く時を正確に分かって行動しなければならない。最近、参与政府の時からムン・ジェイン大統領と近く過ごしたイ・ホチョル前青瓦台民政首席、ヤン・ジョンチョル前秘書官が二人とも政界を去ると宣言する姿を見て、権力と地位に執着して厚かましく留まる場所ごとに臭気を漂わせて離れなかったパク・クネ政府の側近たちと対比され、離れる時と留まる時の知恵を改めて考えるようになった。
 
「古いものを葬りなさい」という鄭明析牧師の御言葉は、単に過去の次元から抜け出しなさいという意味を超え、私たちの人生をより遠く、より高く眺めるようにさせ、私たちが進むべき方向を正確に導く知恵の御言葉である。その御言葉をどれほど決心して守るかが、もしかしたら范蠡と韓信が直面した運命の差と同じくらい、私たちの運命を左右するかもしれない。

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날짜
2017/05/20