経済散策 by ポケット

RGO24の’ポケット’記者と共に歩く「経済散策」・・・経済の生きた本になって経済を通した神様の摂理歴史を証するためにペンを取りました。主と共に美しく神秘的な天国の経済散策路を歩いてみませんか?

칼럼_연재칼럼_経済散策

「セノレ(新しい歌)」に込められた意味

タクシー運転手

 
最近「タクシー運転手」という映画が人気を博している。この映画は、タクシー運転手と外信記者が体験した実話をもとに、1980年の5・18民主化運動を扱っている。この映画のおかげで、1980年の光州民主化運動の実態を直接経験していない世代も歴史の真実を知るようになるなど、5・18民主化運動が新たに注目を浴びている 。
 
おそらく今の世代は、映画の中の集会シーンに馴染みがないもしれない。しかし、1990年代に大学に通っていた著者は、そのような場面にとても馴染みがある。当時、大学街では常に民主化の熱望と集会が絶えなかった。ところで、集会をする時、欠かせないものが歌だった。「その日が来たら」、「枯葉がよみがえる」、「荒野にて」、「朝露」、「常緑樹」のような民衆歌謡は、集会広場で鳴り響く代表的な曲だった。
 
当時、このような歌が歌われた理由は、各曲ごとにそれぞれの経緯があったこともあるが、その時代を表現する最も強力な手段だったからである。それだけ歌の力は強大だった。長い歳月が経った今も、歌詞の内容が自然に浮かぶほど民衆歌謡は生活に疲れた民衆の生活を代弁し、暗鬱な社会に希望を与えた。しかも、集団行動をしなければならない人々にとって、これほど人を結束させる媒介体もなかった。
 
ところが過去、このような曲はほとんど禁止曲だった。しかし、ムン・ジェイン大統領就任以来、5・18記念式で「あなたのための行進曲」が提唱されたという事実だけでも、大韓民国の民主主義の成熟を実感するようになった。
 
ヌエバ・カンシオン (Nueva Cancion)
 
歌を通じて不義な世の中に立ち向かったのは、韓国人だけではなかった。1960〜1970年代の反戦・平和運動の先頭に立った米国のフォーク歌手たち、ギリシャ民主化運動の象徴であった「ミキス・テオドラキス(Mikis Theodorakis)」、ラテンアメリカの 「ヌエバ・カンシオン(Nueva Cancion)運動」など、世界各地のミュージシャンが不当な政治的抑圧と人権蹂躙、不平等な社会に対抗し、歌を通じて社会変革を導いた。
 
その中でも、南米の「ヌエバ・カンシオン運動」は注目に値する。「ヌエバ・カンシオン」は、ラテンアメリカ人としてのアイデンティティを歌を通じて取り戻そうという目標を持ち、強大国の搾取と独裁政権の弾圧に苛まれた現実を克服するために、意識あるミュージシャンたちによって始まった歌運動かつ民衆運動であった 。
 
1960年代~1970年代を過ぎた時期のラテンアメリカは、政治的混乱に加えて、外国資本の強大な力に振り回され、経済的‧文化的な従属がひどい状態だった。また、貧富の格差をはじめとする様々な社会矛盾と軍部独裁政権の横暴によって、無力な民衆は人間としての基本的権利さえ剥奪されたまま苦難ばかりを経験しなければならなかった。
 
このような背景から始まった「ヌエバ・カンシオン運動」は、貧しい民衆を抑圧する制度、階級、文化を追放する運動に発展しながら、独裁政権と支配者たちの基盤を崩す上で大きな役割を果たした。ミュージシャンたちは、独裁と弾圧に対する批判を歌の中に込め、国民にそれらに対抗して自分の自由と権利を取り戻すことを訴えた。結局、このミュージシャンたちにとって「ギターは銃であり、歌は弾丸」なのであった 。
 
しかし、文化芸術家たちのこのような抵抗運動には過酷な弾圧と犠牲も伴った。代表として、1973年の軍事クーデターを通じて政権を握ったチリの「ピノチェト(Pinochet)」独裁政権によって犠牲になった「ビクトル・ハラ (Victor Jara)」 を挙げることができる。ビクトル・ハラは軍事クーデターに抗戦し、チリ民衆に抗戦を促していた「アジェンデ」大統領の主要人物だった。逮捕されたビクトル・ハラは過酷な拷問で手首と腕が折れ、機関銃で全身を乱射された後、共同墓地に捨てられた 。しかし、彼の死は「ヌエバ・カンシオン」が南アメリカ全域に拡散されるきっかけにもなった。
 
新しい歌に込められた意味
 
「ヌエバ・カンシオン(Nueva Cancion)」はラテン語で「新しい歌」という意味である。彼らは新しい歌によって不義に対抗しながらも、世の中を変えようとした。そのように彼らは人々の変化を導き出そうと歌詞を作り、曲を付けた。これに加えて、ヌエバ・カンシオンは、ラテンアメリカ民族音楽のルーツ探しと保存を通してアイデンティティを再確認しようとした。
 
最近、鄭明析牧師は、新しい時代の御言葉を入れた「セノレ(新しい歌)」を自ら作詞作曲しておられる。ヌエバ・カンシオンに照らしてみると、鄭明析牧師のセノレは単に新しい曲という意味だけを持つのではなさそうだ。その中には、神様が世界を創造された目的を成して差し上げようとする願いと人々の変化を望む切実な心と共に、摂理歴史の根である神様の御言葉を千年間保存したいという願いが込められているのだろう。だから一層感謝の気持ちが生まれる。
 
ヌエバ・カンシオン運動の代表的なミュージシャンが、チリの「ビクトル・ハラ」とアルゼンチンの「メルセデス・ソーサ」だ。個人的には、メルセデス・ソーサの音楽が好きだ。彼女の曲「人生よありがとう(Gracia a la vida)」を聴いていると、私たちの人生にあまりにも多くのものを下さった神様に自然に感謝の気持ちが生まれる。彼女の曲「人生よありがとう」の歌詞を吟味してみよう。そして、セノレを下さる神様にも心から感謝して栄光を帰そう。
 
メルセデス・ソーサの「人生よありがとう(Gracias a la vida)」
 
人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

私に輝く瞳を与えてくれて

この目を開ければはっきりと見分けられる

白の中に黒も 大空の遥か彼方に輝く星も 

この群衆の中に、愛するあの人の姿も


人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

私にこの耳を与えてくれて

昼も夜もゆったりと聞こえてくる

コオロギとカナリヤの歌

ハンマー、タービン、犬の声、雨音

そして愛するあの人の優しい声


人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

私に音と文字を与えてくれて

私が考え、口にする言葉たちを

母、友、兄弟そして愛するあの人の魂の道を照らす光を

人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

疲れ切った私の足に前に進むことを教えてくれて

この足で町を歩き、水たまりを歩き

海岸から砂漠、山から平野を

そして貴方の家、貴方の道、貴方の庭を歩いた


人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

枠を揺さぶり震える心を与えてくれて

人間の脳が生み出した果実を見る時

善が悪から遠く離れているのを見る時

そして貴方の澄んだ瞳の奥を見る時


人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

私に笑いをくれて、嘆きをくれて

おかげで私は幸福感と喪失感を見分けられる

私の歌を構成する、この二つを

貴方たちの歌、それは同じ歌

皆の歌、それは私自身の歌


人生よ、ありがとう

こんなにたくさんのものを与えてくれて

 

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날짜
2017/08/19