3文(もん)コラム by BON局長

BON局長がお届けする3文(もん)コラム!3文くらいの安っぽい文章の実力ですが・・・世の中の言葉で解いた主日の御言葉をアップします。

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孔子を超える方法

「一度だけ食事をおごってくれ」と誰かにお願いをするとしましょう。自分とそこそこ関係性が形成されている人なら、このお願いを聞いてくれるのはそんなに難しくないはずです。

しかし、「毎日一緒にごはんを食べよう」となると、簡単にそのお願いを聞いてくれる人はいないでしょう。

完全に同じ家で一緒に暮らす方法以外に、それを可能にする方法が無いからです。

「毎日毎日の生活)を共にしよう」というのは、夫婦並みの関係であってこそ要請可能な事でしょう。


変化、そして運命に関する最高の古典、「周易(しゅうえき)」は、「陽(―)」と「陰(--)」の二種類の要素がダイナミックに、また、離合集散を一つの形態とし、変化と運命について表しています。


※周易…「易経」という古典書物に記された占術のこと。


これを、私が自分なりに簡単に解いて解釈をしてみると、

結局、自分の運命の「掛(け)」は、自分が毎日しなければならないこと(―)をやったか(肯定的要素を強化する)と、毎日心に留めてやってはならない行為(--)をやらないようにする(否定的要素を除去していく)「意志」、そして、その「実行」の可否に基づいて決定されるとも理解することができます。



だからといって、誰かが、私がやらなければならないことをやるように、また、やってはならない行為を行えないように強制することはできないでしょう。


毎日毎日、自分の自由意志の通りに、自分自ら選択した事が積み重なって、私が「変化」し、その変化が蓄積されて、私の「運命」が決定されるということです。


こう言うと、まるで自分が自分のすべての成功(救いなど)を成すことができるかのように誤解されるかもしれません。

しかし、実際は、自分がやらなければならないことが一体何なのか、また、やってはいけないことは何なのかを正確に知り、判断する過程がその前提に置かれるべきです。

みなさんの周りに、自分が成功するために必ず「やらなければならないこと」と「やってはいけないこと」を明確にわかっているといえる人は、果たしてどのくらいいるでしょうか?


各自、自身の人生において必ず「やらなければならないことと、やってはいけないこと」、これを「御心」といい、「天命」と呼ぶのです。


偉大な哲学者である孔子も、『朝に道(どう・必ずやらなければならないことと、やってはいけないことをわかって生きること)を聞くことができれば、その日の夕方に死んでもよい』という言葉によって、天命を知ることを切実に望み、また、それほど天命を知ることが難しいということを披瀝(ひれき)しました。


孔子は、「自分の自由意志を完璧に制御できるようになり、それ以上揺れない境地」、これを「不惑(ふわく)」と呼びましたが、人生は四十を超えてから「不惑」になり、「不惑」の境地を超えて、五十歳になってようやく初めて「知天命(天命を知る)」となったといったので、「知天命」が簡単ではないということがはっきりとわかることでしょう。


その後、どんな言葉を聞いたとしても心に後ろめたいことが生じなかったという「耳順(じじゅん)」の境地は、六十歳に該当する単語ですが、これは、新約聖書(マルコによる福音書16:18)「毒を飲んでも、決して害を受けない…」という使徒たちの境地と似ていると見なすことができるでしょう。


若くして、揺れない「不惑」を超え、「知天命」をわかって生きていて、それ以上どんな非真理に触れたとしてもその心にいかなる後ろめたさも無い「耳順」に至るならば、畏れ多くも孔子を超えたといえるかもしれません。


そして、万が一そのような境地に至った、使徒のような人々が多くなるならば、孔子の教えを超えるようなもっと偉大な教えが存在する歴史が進行しているのではないか、一度確認をしてみなければいけないことでしょう。


「毎日毎日、天と共に生きよう」と願われる、いつも「天命に従って」生きるように促す貴重な御言葉。


本当に仕方の「ある」生、大したことが「多い」人生になるように教えてくださる「愛の御言葉」に違いありません。

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날짜
2016/09/11