3文(もん)コラム by BON局長

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最後まで行ってこそ「核」に出会う

年をとった老練な一人の大工が、お金もある程度貯めたところで、そろそろ引退しようと決心しました。引退を決めてから、数日しないうちに辞表を会社に提出しました。


その大工の手腕を大切にしていた会社の代表は、もう一度考え直してほしいと引き止めましたが、大工の退職の決心は変えられませんでした。


到底説得できないということをわかって、代表は、「それなら最後に、家をあと一軒だけ真心を込めて建ててほしい。」と頼みます。


最後の頼み事まではさすがに拒絶しきれず、大工はその場で「そうしよう。」と承諾しましたが、すでに彼の心は家を建てることから離れてしまった状態でした。


彼は、働き手として、簡単に集められる人たちを中心に適当に募集して、資材も、手軽かつ安価に調達できる物を準備して、瞬く間にいい加減に家1棟を完工してしまいます。


ついに家が完工する日、その会社の代表は大工に言いました。


"この家は、私が差し上げるプレゼントです。長い間、この会社のために働いてくれたお礼なので、この家で家族全員、仲良く暮らしてください。”


大工は非常に戸惑ったし、立場もまた困ったことになりました。

自分と家族が入って暮らすと思うと、いろいろと不安だったし、不満な部分がたくさん出てくるだろうというのは明らかであるし、だからといって、違う家で暮らしたり、適当に建ててしまった家を無駄物として、新たにもう一つ新しく建てたりするのも難しいし…

最後に家を建てる仕事を疎かに、適当に済ませてしまったことが、ただただ「もったいないことをした」と思われるばかりでした。

 


多くの人たちが、「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」という言葉のように、仕事の最後をうまく処理できない場合が多いです。


これとは違って、全知全能でいらっしゃる神は、その「最後」がそのような人々とは違うということを、聖書を通して教えてくださいます。

その方の歴史は、「初めは微弱であったとしても、終りは壮大」になるし、その存在もやはり「アルパでありオメガ」でいらっしゃることを強調されます。


事実上、アダムとエバから始まった宗教歴史の始原も、「堕落」によって残念に「始まった」し、その残念な始まり(原罪事件)に対して、「神が働かれる方法がこれこれこうだから…」と多くの論争が続いて来ました。 


全知全能であろうお方が、このことを前もって知ることはできなかったのか?

前もってご存知だったなら、どうしてそのことが始まるようにそのままにされたのか?

わざと放置されたのなら、その理由は一体何だろうか?


実際、「堕落」という事件は、被造物のうち、人間が起こした、創造主の御旨に逆らった、宇宙創造以来、初めて起こった事件であったことでしょう。

他のどんな万物も、その方の御旨に背くことはできませんが、人間だけが唯一自ら神の御旨に逆らうことのできた、まさにその対象体としての完全な「独立した状態」であることを表現した行為であったはずです。


このように始まった歴史は、これを「回復(自由意志を持った完全な独立体として自ら天を先に愛するようになるという…)」するための、長久であり、さらにスリル溢れる歴史につながることとなりました。

詭弁のように聞こえ得るかもしれませんが、まさにこの点において(創造主の立場から見た時は)、「原罪とその回復の歴史」は、自由意志を賦与された人類に可能性を残しておかれた神の「Plan B」だったのではないでしょうか?


類似の事例として、「ルネッサンス時代」も、軌跡が似ているとみなせるでしょう。

ルネッサンス(Renaissance、文芸復興)時期の「人文主義」も、事実上、「神本主義」に対抗した「人本主義」の再起でした。

その「始まり」を神の立場から見ると、アダムとエバの抗命に次ぐ、神に対する挑戦行為であったかもしれません。


このルネッサンスの時期を経ながら、人間は、自分たちの持つ理性の力を覚醒させ、それを通して理性が一層発達するようになりましたが、これにより、一部の人々は「理性万能主義」を経て「無神論」に至りもしましたし、また、ある人々は、宗教改革の基盤が備えられたことによって、理性を持った知性体として一層神に対する深い理解を図ることができました。この「宗教改革」が無かったら、より偉大な次の歴史を期待することはできなかったかもしれません。


このように、たとえ「初めは微弱」であっても、その始まりがどうであったとしても、「終りは壮大」になり、オメガとして完璧な締めくくりをし、必ずや御旨を成し遂げるのがまさに天の歴史なのです。


結局、私たちもまた、最後まで行ってこそ「核」に、「神」に出会うことができるでしょう。

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날짜
2016/10/19