3文(もん)コラム by BON局長

BON局長がお届けする3文(もん)コラム!3文くらいの安っぽい文章の実力ですが・・・世の中の言葉で解いた主日の御言葉をアップします。

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「最小限」の力と切実さ

"最小限(少なくとも)これくらいは必ずやりきろう。"

"最小限(少なくとも)この言葉だけは必ず伝えなくては。"


「最小限」は、すなわち「切実さ」です。


「これだけは絶対にやらなくては(切実さ)」と思うので、心と思いと命をつくし、真心を込めて、精密に行うのです。

「これだけは…」と思って、切実だからこそ「できないこと」も「できる」のです。


「完璧」とは、それ以上「加える」ものが無い状態ではなく、それ以上「減らす」ものが無い状態。

減らして、また減らして、それ以上はもう減らすものが無い状態、まさに「最小限」の状態、「切実さ」によって生まれるのです。


鄭明析牧師は、

 "心だけが切実だからといってできるのではなく、行ないもやはり切実であってこそ目的を成すことができる。" とおっしゃいました。

来年、「実践の年」を迎える準備をする目的で、先週「GAPモデル」についてのコラムを載せました。GAPモデルの核心は、「目的とすること」と、その「達成方法」に対して、「最小限を定量化」することです。


このことを理解しやすくするために、例を挙げて説明します。


ある国に軍隊がありました。

戦争の準備をする状況において、必ず勝たなければならないという「目的達成」のためには、軍人たちの基礎体力の鍛錬が非常に重要な課題となります。


この目的において、A部隊長は、

"戦争を前にして、各軍師の基礎体力強化の重要性は言わなくてもわかっていることだろう。そこで今日から練兵場を駆け足で走ることにする。各自が自分で判断して最大限多く走ることを命じる。" 


その反面、B部隊長は、

"今日から練兵場を走ることにするが、毎日少なくとも3周以上は走ること。"


このように命令を下した時、果たしてどのような結果の差違が生まれるでしょうか?

「少なくとも」(3周ぐらいは…)と決めて走ったB部隊員たちの体力のほうがはるかに良くなったはずです。

両部隊が練兵場を走ってまわった回数を比較すれば、おそらく数倍~数十倍の差になっていることでしょう。


先週の主日の御言葉で、鄭明析牧師は、矢を放つ時は「標的」がなければならないし、航海する時は「目的地」がなければならないとおっしゃったことを覚えているかと思います。


洋弓の的(まと)がどうなっているか知っていますか?

同心円の形をしていて、中央が10点、その次の周辺部に進むにつれて9点、8点…

このように「定量化」されているということは皆さんご存知だと思います。


それでは、航海する目的地についてはどうでしょうか?

韓国の「仁川(インチョン)」に行こうが、日本の「福岡」に行こうが、これは結局「座標の値」(定量化)を決定するのです。


このように、「目的を成すようにさせる」GAPモデルの核心は、まさに「最小限」を「定量化」することなのです。


目標を定めなさいといったからといって、10点満点をすべて達成しなさいということではありません。

自分の能力と訓練の程度に従って結果は変わってきますが、それが7点であれ5点であれ、10点を目標にして切実に、真心を込めて精密に照準をあて、矢を放ってこそ、最小限の結果だとしても得ることができるのです。


新約時代、イエスが広げられた歴史も、当代を基準として見たら本当に「最小限」の歴史でした。「本当にこれだけは残さないといけない」というその一言二言の御言葉を残しただけであり、「最小限このくらいの弟子は残した」といえるごく少数、何人かの弟子たちと恥ずかしい(?)「十字架の救い」だけを残して行かれたということを私たちは知っています。


そのため、当世の人々は「それほどまでに待っていた天の大歴史がせいぜいこの程度だったのだろうか?」と論議し、あるいは疑いながら、イエスの元からたくさんの人が離れていったことでしょう。


もしかすると、天の歴史は本質的に「最大限」の歴史ではなく、「最小限」の歴史なのではないか、だからこそ本当に「肝臓が痺れるほど」切実にするしかない、そのような歴史なのではないかと思われます。

 

何はともあれ、天は「切実な最小」が「完璧な最大」を成すというこの深い秘密を、知恵深い人にだけ、天を頭にして生きる人にだけ知ることを許諾してくださったことは紛れもない事実に違いないでしょう。

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날짜
2016/12/11