人生の師
人類の歴史において
地球上には先生たちがたくさんいます。
イエス様は特に神様について教えてくれる
人類の師になられました。
最も大きい教えでした。
私は聖書を読んだ時、悟ることができない御言葉を
悟りたいと思って祈り始めました。
イエス様が祈る中で悟らせて下さり、御言葉を教えてくれました。
そして「私があなたの先生になって、あなたを教えてあげよう」とおっしゃいました。
聖書を通して歴史が始まるから、
聖書の御言葉を詳しく学ばなければなりませんでした。
それで夜もどんな環境でも、
ベトナムにいた時は、片手に銃を持ち、片手に聖書を持って読みました。
ちょうど聖書大学に通うように、
ちょうど修道生活に入ったように、
ベトナムにいながら本当にたくさん悟りました。
元気が若者たちがバーンと銃で撃たれて、
血を流して死ぬのをたくさん見ました。
たくさん死んだときは230人が死にました。
私の目の前で230人。
一週間後に行ってみたら、腐っていました。
みなさん
家に帰ってご飯を食べられなくなるかな…
思い出しちゃうと言わないで下さい。
それでも話さないと…。
死体のそばに行ってみると、
ウジを知っているでしょう、ウジ虫。
腐ったところにわくウジ虫。それがウジャウジャいました。
今もうごめきまわるウジ虫が目に浮かびます。
忘れられません。
ウジがうごめいているのを見ないといけないとイエス様が言いました。
なぜかと聞いたら、見てこそあなたが実感がわくように話せるとおっしゃいました。
うぅっ...
説教する時はいいけれど、ご飯の時に思い出したら困るんだけど…。
イエス様がいくら先生で恩師でも、本当にあまりに酷な時があります。
その死体を引きずって行って、埋めてあげるんですが、
死体が引きずられていくと思いますか?
腕は抜けるし、首は抜けるし、足は抜けるし…
私は涙をぼろぼろこぼしながら泣きました。
あまりに悪臭がして、土を口に入れて噛みしめました。
あぁ、人生がこうなるんだなぁ。
その凄絶さを目の当たりにして、
人生がどれほど虚しいのか悟ったし、
人生がどれほど過酷なのか悟ったし、
多くのことを悟りました。
戦地で数万人が包囲された時、
中心点を撃破してこそ助かるでしょう。
そのように地球村も死と暗闇に包囲されている。
サタンと暗闇と悪人たちに包囲されている。
この中心点を見つけ出そう!
全人類が助かる道を探しているのだから
私にとってご飯を食べられないことが問題でしょうか?
寒さが問題でしょうか?
絶壁が問題でしょうか?
私が落ちて死んでも、この道を見つけなければならない。
そういう思いだったから、
耐え忍びながら祈り、もがいたのです。
そのように祈った時、
人生の道を悟るようになったし、
聖書の根本を悟ったし、
イエス様がどのように再臨するか知るようになり、
神様の歴史がどのように始まったか知るようになり、
霊的な世界を知るようになり、
地獄が本当にあるということを悟るようになりました。
そのようにしながらイエス様が私を教えて下さいました。
そして真理を悟るようになり、
人類が救われる御言葉!
人類に道を教えて出て来れるぐらいの
そういう御言葉をもらうために長い時間がかかったのです。
どんな環境や状況でも、
誰から偉大な御言葉を学ぶのかによって、
思想・精神・知識・知恵が左右されるのです。
分かりますか?
鄭明析牧師 2004年 5月 16日 ‘祈りの光を放ちなさい’より