[本文]
マタイによる福音書5章20節、26節
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と、御子イエス様の平安を祈ります。
今日は絶対にできることと、絶対にできないことについて話します。
絶対に天国に入るためにはどうすべきか、今日の聖書の本文を読みながら話します。
マタイによる福音書5章20節で、イエス様は「あなたたちの義が書記官やパリサイ人たちにまさっていなければ、決して天国に入れない」とおっしゃいました。
御子が人々を救おうとして、ナザレのイエス様を通して現れたとき、パリサイ人たちは旧約のモーセの律法に閉じ込められて生きている宗教人たちで、形式とうわべだけに縛られて信仰生活をしている人たちでした。書記官たちは聖書を記録し、整理する職責の人たちでした。
彼らには判決できる権限も与えられていたので、彼らは信仰生活をしてはいたけれど、自分の位置と職責を中心に置いて生きている人たちでした。それで主は「あなたたちの行ないと義が彼らにまさっていなければ、決して天国に入れない」とおっしゃったのです。
パリサイ人たちや書記官たちは、ナザレのイエス様を神様が遣わした救い主と信じませんでした。
神様のひとり子でいらっしゃる御子がナザレのイエス様に臨んで、三位一体の御子がその肉体を使って現れて人々を救うということを信じませんでした。だから、その「義」が旧約の信仰生活の限界にとどまっていて、それ以上次元を上げられず、生まれ変われないまま生きていました。
反面、イエス様を深く知って、メシヤとして信じて、三位一体の御子と分かって、その御言葉を聞いて行なって従った人たちは、パリサイ人や書記官より義がまさって、天国に行くことが許諾されました。しかし、メシヤを知るだけであって、メシヤを完全に信じることができず、その御言葉を聞いて行なうことができなかった人たちは、パリサイ人や書記官より義がまさっていなくて、天国に行くことが許諾されませんでした。
今、現実においても、主を信じるけれども形式的に信じる旧時代の人たちや、また官職者たちのように、自分の官職と職業を中心とした信仰生活をしたら、決して天国に入ることはできません。
二つ目の本文である、マタイによる福音書5章26節では、「1コドラントでも残すことなくすべて返すまでは、決してそこから出てくることはできない」と言いました。
100%してこそ問題が解決して、死亡から出てきます。罪によって死亡圏にいる人たちは100%メシヤの名で祈り、悔い改めてこそ、そこから出てくることができます。
神様の中では、すべてのことを100%完全にしてこそ出てくるようになるということです。
この御言葉を根拠にして、同じく分かって行ないなさいということです。