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マルコによる福音書16章20節
弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子イエス様の平安を祈ります。
二人の人を連れてきて、どちらが女でどちらが男なのか尋ねました。そうしたらある人が「この人は女だ。そしてあの人は男だ」と言いました。相手がその話を聞いて「どうしてこの人は女で、どうしてあの人は男なのですか」と尋ねたら、「この人は髪の毛が長いから女で、あの人は髪の毛が短いから男です」と言いました。
それで今度は、男は髪の毛の長い人を連れてきて、女は髪の毛を切って連れてきて、どちらが女でどちらが男なのか、もう一度聞きました。今度も髪の毛が長い人が女だと言い、髪の毛が短い人が男だと言いました。間違えました。
こんな風に男女を区分したら「理論と実際」は異なります。だから騙す人に騙されます。男と女を区分する核心である生殖器の構造と肢体の核を見て区分してこそ、騙されず、理論もはっきりします。だから誰も言葉ででも、行動ででも、その言葉を負かすことはできません。
このように「御言葉の次元」を完全に高くして立てなければなりません。理論ばかり主張するのではなく、その実体と内容を分かって主張し、証してこそ、人々がこの時代の福音を聞いて、屈伏して、間違いないと言って、ついて来ます。
はっきり学び、はっきり教えなければなりません。
御言葉で命を伝道して、愛で御子主の前に出て行くのです。
みんな言葉の根本を分かって、はっきりと教え、言葉だけ伝えるのではなく、「言葉の実体」を分かって伝えることを願います。