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詩篇24篇8~10節
8)栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
9)門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
10)この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。
ヨハネの黙示録19章11~16節
11)またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
12)その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
13)彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
14)そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
15)その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
16)その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子イエス様の平安を祈ります。
世の中の一国の大統領や王は人間なので、ちょうど一人の夫が自分の妻と子どもを一人一人気に掛けて治めるように、一人一人を全部治めることができません。任期が、長くて4年、5年、8年、あるいは数十年なのに、その期間内に数千万人、数十億人の民の個人個人のことを全部知ることもできないし、個人個人に一言の言葉も話してあげることができず、任期が終わります。ただ上で、名誉の位置で活動します。
しかし全能なる神様はこのような王ではありません。神様と聖霊様と御子イエス様、このように三人の王が「一人の命を救うために」、その一人の人を目の前に置いて、24時間夜も昼も炎のような目で見守り、各自の個性通りに任されていることを統治し、助け、愛し、問題を解決して下さり治められます。また善と悪のすべてを詳しく見て、各自が行なった通りにその都度報いて、治め、公義の御心を広げられます。
神様、聖霊様、御子イエス様と共に地球村の一人一人の命を治める王がもう一人いますが、すなわち、地上の救いの使命者です。このように四人の王が「一人の命」を治めます。肉に属したものは、地上の救いの使命者を通して治め、統治されます。ここに「自分自身」も自分を治める王だから、五人の王が自分一人を治めるのです。
このように四人の王が「一人の命」を気に掛け、助け、大切にし、治める目的があります。その目的は、皆さんの肉と霊を、神様と聖霊様と御子主の絶対的な愛の対象体に作って、肉は地上で愛と平和と喜びの理想世界を成して生きるようにし、霊は天国に連れて行って、永遠に愛して生きるようにすることです。
このように四人の王が治めても、自分がやらなければ、救いを得られません。いくら四人の王が全身全霊を傾けて助け、守り、治めても、本人が嫌ならば、信じず、行なわなくて、救いに行けない人たちが本当に多い。だから、自分が信じて御言葉を受け入れて、自ら行なうことが本当に大きく雄大なことであり、神秘的で美しいことです。
「自分の自由意志」と「自分の取捨選択」がこれほどにも大きい主権になり、自分の霊と肉の運命を左右します。だから、その大きな主権をもって「救われること」に全身全霊を傾けて使わなければなりません。
この四人の王のように、自分も自分の王になって治めなければなりません。自分は自分をきちんと治めなければならない自分の王です。自分一人を救うことにおいて、神様、聖霊様、御子主、地上の救いの使命者、自分まで五人の王が一人を治めます。
救われることにおいて自分自身がそれほどまで「大きな主権」になり、「責任」も大きいです。自分を救ったら他人がその栄光を享受するのではなく、自分が天国で永遠に栄光を享受するのです。自分の救いの栄光は自分が永遠に享受するから、自分が最大限責任を果たさなければなりません。
自分一人のために神様、聖霊様、御子主、地上の救い人、そして自分自身、このように五人の王が治めます。そして、ここにまた共にするもうひとチームがあります。誰でしょうか?
全能なる神様は、三位と地上の救いの使命者を信じて行なう人たちを助け、保護し、仕えるようにと、「救いと引き上げ」のために各個人に天使たちを送ってくださいます。個人あたり2名、4名、6名、7名ずつ送ってくださって、夜も昼もその一人を守らせます。
皆さん個人を火のように熱く愛し救って治める王が誰なのかを悟って、尊敬して愛して、その御言葉に従順にして生きることを祝福します。