[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文]
マタイによる福音書5章23~24節
23)だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
24)その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
イザヤ書55章6~11節
6)あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。
7)悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。
8)わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。
9)天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
10)天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。
11)このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
<和睦する上での核心>は何でしょうか?
それは「互いに対話して解くこと」です。
<対話>で解き、<対話>で自分の願いも叶えるのです。
そうすることで互いに解け、和睦するようになります。
神様は<御言葉>で「天地」と「人間」を創造なさいました。
そして<御言葉>を与えて、私たちがその御言葉を行なえばそれによって「私たちの霊」が変化し、引き上げられるようになさいました。
神様はこのように地球世界の73億人みんなに対面して、<御言葉>で、<言葉>で議論して、解いてくださり、和睦するようにしてくださいます。
「絡まり、わだかまりになっていること」は<言葉と対話>で解き、<悔い改めと謝(あやま)ること>で解かなければなりません。
<和睦>は「真実な言葉と対話」で成されるということを忘れずに、お互い対話で心のわだかまりを残すことなく解いて、和睦を成して生きることを願います。