使徒行伝28章26節
『この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。』
今は感覚の時代です。
瞬間、答えて反応するのが感覚です。
感覚がないというのは、'鈍い'という言葉と同じです。
感覚があってこそ、すべてのことがうまくできます。
"言うこと"も感覚であり、"料理"も感覚であり、"運動"するのも感覚です。
"信仰"も感覚です。
神様は人を通して現れ、万物を見せて働かれますが、感覚がなくて反応することができず、悟れなければ、そのまま通り過ぎられます。
このような感覚を育てる方法がありますが、気を引き締める分だけ感覚が生じ、祈る時、感覚が目覚めます。
また、愛する人には全神経を尖らせるから、愛する時、感覚がよくなります。
大概、人は感じる"感情"は多いけれど、"感覚"が鈍い時があります。
すべて神様の御言葉で'感情'を'鋭い感覚'に変えて、いつも天の前で反応が生きている人になり、嬉しく楽しい歴史を成していくことを祝福します。