[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] 詩編121編1節〜2節
1)わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
2)わが助けは、天と地を造られた主から来る。
ヨハネによる福音書14章14~16節
14)何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
15)もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
16)わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安を祈ります。
神様と聖霊様と御子主は、人々にさまざまな祝福を与えるとき、各自の「脳」に、祝福することを入力してあげて、それが「心」で思い浮かぶようにし、思い出すようにし、感動で悟るようにしてくださいます。私たちが思い浮かんだそれを「実践」したら祝福を得るようになさいます。
どのように祝福を受けるのか分からなければ「自分の考えなのかなあ。神経を使うから思い浮かんだことなのかなあ」と思って、それを行ないません。
考えの祝福は、あるときは、ぱっと稲妻のように考えが浮かび、あるときは忘れていた夢を思い出すように、かすかに思い出し、あるときは霊感でピカッと考えがかすめて、来ます。
このように、考えや霊感が来たら、御子主を呼んで、尋ねて、確認しなければなりません。
自己中心的な考えを捨てて、御子主の考えに集中してこそ、その都度最高にふさわしく、美しく、神秘的で、雄大な御子主の考えを受けて、「脳」に<考えの祝福>を受けるようになります。
今日の御言葉を聞いて、過ぎた日に考えで祝福を受けたことを分かって行なったなら、祝福を受けただろうに、御子主がくださった祝福を分からなくて、できずにそのまま過ぎてしまったことが思い浮かぶでしょう。
今、御言葉を聞いたから、行なうべきことが思い浮かび、思い出し、感動を受けて、悟れたら、それが祝福だと分かって、早速行うみなさんになることを願います。
それぞれの人にふさわしい祝福を与えようと、私たちの近くに来られ、<考えの祝福>をくださって、思い浮かぶようにしてくださり、思い出すようにしてくださり、感動で悟るようにしてくださり、私たちが行なうときに、知恵と力と御力と大胆さと自信とやろうとする心を与えて、助け、働きかける三位の愛が満ちることを祝福します。