[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] ローマ人への手紙2章6~8節
6) 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。
7) すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、
8) 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
人が世の中を生きていきながら得られないで生きる理由は、<目的>なしに生きるからであり、<目的>を忘れて生きるからです。しかし誰でも100%目的をもって行なえば、100%得ます。
<希望>は「二通り」で成されます。一つ, 行なうことで成され, 二つ, 行なって得ることで成されます。
食べ物は目で見るからといって食べられるのではなく、実際に食べてこそ食べられるように、<見える肉のもの>は、実際に行なってこそ得て、<見えない霊のもの>も「肉」が行なうことで得ます。
行なうにしても、どのように行なってこそ得るでしょうか?最善を尽くしてこそ、「最善のもの」を得ます。最善を尽くさなければ、「最善の生」と「最善の甲斐」を享受できません。
努力し、研究して、自分の実力の限り、最善を尽くすことです。
「最善のもの」を得たということは、「その中で一番いいもの」を得たということです。「最善のもの」は、黄金の宝、ダイヤモンドのようなもので、「その次のもの」は銀、銅、鉄のようなものです。最善を尽くしてこそ、「そのセンターで最上のもの」を得るようになります。
毎日最善を尽くしてこそ、自分の主管圏で「最善のもの」を得て、「最善のもの」を得てこそ、完全に満足し、喜んで生きるようになります。「最善のもの」を得るためには、100%行なうことです。
最善を尽くさず「未完成」で生きる人はいつも「完成」に至ることができず、「未完成」で終えます。
だから、今日の御言葉を聞いて、最善を尽くして、主の御心の中で行なって、得て、使い、希望を成し、甲斐を享受して生きることを祝福します!