[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] マタイによる福音書18章1~10節
1)そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
2)すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
3)「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
4)この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
5)また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
6)しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
7)この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
8)もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
9)もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
10)あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
5月5日<子供の日>を迎えて、まず「子供と青少年」に関する御言葉を伝えます。
人間は「10歳から20歳になるまで」よく学んで行なって成長することによって、将来が左右されます。成功するためには幼い時に投資し、教え、育て、管理し、偉大な御言葉を与えて、行なえるようにしてあげなければなりません。
人間は作り方次第です。
食べ物も、物も、家も、建物も、<目的>を持って作るとおりにできあがるように、子供も中高等部もみんな自分を作るとおりにできあがり、作るとおりに使われます。
しかし自分が何もしないでいるのに神様が作ってくださるのではなく、自分が偉大な神様と御子主の御言葉を聞いて行ないながら作るのです。
自分を作ったら、その喜びと幸せは言葉で言い表せません。
<自分自身>は「器」と同じなので、自分という器を作ってこそ、その器に「願っている祝福」も受け、「畑に隠した宝」を得ることができます。
二つ目の御言葉は、私たちが行なうことにおいて、最高のすべきことは「始めること」です。
各自、始めるべきことを熱心に始めてこそ宝を発見し、始めてこそ自分のものになり、残るようになります。
始めてこそ終わりを見るようになるから、<始めることの責任>をどれだけ「すべき時に」果たすかによって、<勝利と敗北>が左右されます。始めることをすべき時にしないで遅れてしたら、食べ物を食べるべき時に食べないのと同じで、味がしません。
だから食べ物を食べかけてやめるように、やりかけてやめるようになり、アイスクリームも食べるべき時に食べてこそ冷たいのであって、時が過ぎて溶けたら、食べかけてやめます。
これと同じく、すべき時に始めなければ、終わりを見ずに終わり、すべき時に始めれば、終わりを見て、目的を成すようになります。
今日の御言葉を聞いて、各自「今までできなかったこと」を早く始めることを願います。
今が始めるべき時だから、早く始めて、願っているものを得る皆さんになることを祝福します。