[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] ルカによる福音書20章38節 (核心を拝読)
『神は「死んだ者」の神ではなく、「生きている者」の神である。』
人間は<正常>を外れたら、全て「苦痛」であり、何かの目的を成す上でも<正常>を外れ、<線>を外れたら「苦痛」です。
行なうにしても、<正常>を外れないで耐えて行なってこそ、願うとおりに理想的に続けて行なって、前に進むようになります。
神様は人間を小さくても大きくても、どんなものでもそれに従って、易しく難しく、よく悪く、楽であり楽でないように、秤(はかり)のように創造しておきました。
温度計や秤が「鋭利」に反応するように、人間が「とても鋭利な反応」を見せるように創造なさいました。
そうすることで人間自ら<よいこと>と<悪いこと>を分かって分別して行ない、小さいことでも<行なうべきこと>を分別して行ない、<行なうべきでないこと>は分別してやらないようになさいました。
温度計や、秤や、さまざまな機械を鋭利に作っておかなければ、100%完全に測定することができません。
あの堅固で雄大な自動車や飛行機も、とても鋭利に作っておいたので、目的を持って100%使用することができるのです。
人間もそうです。
産毛の一本でも加えて体に触れたら感じるし、抜いても感じるように、鋭利に100%完璧できれいに構想し、行なうように創造されました。
このように神様は人間を鋭利で感覚があるように創造しておいて、各自必要な時に行なって生きるようになさいました。
寝る時になれば耐えられずに寝て、食べる時になればお腹が空いて耐えられずに食べ、働く時になれば耐えられずに働いてこそ「正常」です。
主の御言葉を聞いて自分の考えを集中し、刃物の刃(は)のように鋭利にして祈ることを願います。
自分は何ができていないのか、何を悔い改めて焼却すべきか、必ず分かって、行なって焼却すべき時です。
機械も「正常」を外れて「限界以上」超過したのに、感じられず耐えれば、故障します。
人間もそうだということを必ず知って、神様と主の御言葉に鋭利に反応し、その御言葉を自分の脳から抜かずに、いつも鋭利な精神と考えを持って行なうことを祝福します。