[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] マタイによる福音書25章14-33節
14)また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 15)すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 16)五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 17)二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 18)しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 19)だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 20)すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 21)主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 22)二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 23)主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 24)一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 25)そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 26)すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 27)それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 28)さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 29)おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 30)この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 31)人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 32)そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 33)羊を右に、やぎを左におくであろう。
地球世界も<位置>によって「黄金の宝のよい場所」があるように、時間もそうです。
時間も、その時その時「黄金の時間」があります。 <その時間を主人になって使う人>は「黄金の宝のよい場所を占めた人」と同じで、栄えるようになります。
<黄金の時間>も「黄金の宝のよい位置」で、<個性どおりに与えた使命>も「黄金の宝のよい位置」です。
人も<生の位置>がよくてこそ、「栄え」、「勝利」するから、自分が生きてきたとおりに、自分の間違った体質どおりに生きるのではなく、<自分>を完全に作りつつ変化しなければなりません。
これからは「違う位置、違う使命」をしようとしないで、<自分の個性の位置>を守って、そこでもっと大きくなり、素晴らしく作ることです。
<ブドウ>が「梨、リンゴ、バナナ、イチゴ」にはなれません。 <ブドウ>は「ブドウ」としてもっと大きくおいしく作ることです。 これと同じく、各自「自分の個性の位置」を守って自分を開発することです。
<自分のすべきこと>と<自分の使命の仕事を貴重に思って行なう人>が黄金の宝のよい位置を占めた人として、喜びと甲斐を享受するようになるから、<勤勉な義人の次元の道>を行くことを願います。