말씀_설교말씀

人生は縮小版、拡大版の生だ

본문 .

[御言葉] 鄭明析牧師 

[本 文] エゼキエル12章1-16節

01)主の言葉がわたしに臨んだ、 02)「人の子よ、あなたは反逆の家の中にいる。彼らは見る目があるが見ず、聞く耳があるが聞かず、彼らは反逆の家である。 03)それゆえ、人の子よ、捕囚の荷物を整え、彼らの目の前で昼のうちに移れ、彼らの目の前であなたの所から他の所に移れ。彼らは反逆の家であるが、あるいは彼らは顧みるところがあろう。 04)あなたは、捕囚の荷物のようなあなたの荷物を、彼らの目の前で昼のうちに持ち出せ。そして捕囚に行くべき人々のように、彼らの目の前で夕べのうちに出て行け。 05)すなわち彼らの目の前で壁に穴をあけ、そこから出て行け。 06)あなたは彼らの目の前でその荷物を肩に負い、やみのうちにそれを運び出せ。あなたの顔をおおって地を見るな。わたしはあなたをしるしとなして、イスラエルの家に示すのだ」。 07)そこでわたしは命じられたようにし、捕囚の荷物のような荷物を昼のうちに持ち出し、夕べにはわたしの手で壁に穴をあけ、やみのうちに彼らの目の前で、これを肩に負って運び出した。 08)次の朝、主の言葉がわたしに臨んだ、 09)「人の子よ、反逆の家であるイスラエルの家は、あなたに向かって、『何をしているのか』と言わなかったか。 10)あなたは彼らに言いなさい、『主なる神はこう言われる、この託宣はエルサレムの君、およびその中にあるイスラエルの全家にかかわるものである』と。 11)また言いなさい、『わたしはあなたがたのしるしである。わたしがしたとおりに彼らもされる。彼らはとりこにされて移される』と。 12)彼らのうちの君は、やみのうちにその荷物を肩に載せて出て行く。彼は壁に穴をあけて、そこから出て行く。彼は顔をおおって、自分の目でこの地を見ない。 13)わたしはわたしの網を彼の上に打ちかける。彼はわたしのわなにかかる。わたしは彼をカルデヤびとの地のバビロンに引いて行く。しかし彼はそれを見ないで、そこで死ぬであろう。 14)またすべて彼の周囲にいて彼を助ける者および彼の軍隊を、わたしは四方に散らし、つるぎを抜いてそのあとを追う。 15)わたしが彼らを諸国民の中に散らし、国々にまき散らすとき、彼らはわたしが主であることを知る。 16)ただし、わたしは彼らのうちに、わずかの者を残して、つるぎと、ききんと、疫病を免れさせ、彼らがおこなったもろもろの憎むべきことを、彼らが行く国びとの中に告白させよう。そして彼らはわたしが主であることを知るようになる」。



旧約聖書エゼキエル書12章を読んでみると、神様は預言者エゼキエルにおっしゃいました。


"わたしはあなたをしるしとなして、イスラエルの家に示すのだ。"


神様は「神様の人、預言者エゼキエル」を通して反逆の氏族たちを悟らせようと、住処(すみか)を移すようにさせました。

つまり<連れられて行く捕囚の荷造り>をし、<捕囚>のように見えるようになさいました。


もし「預言者エゼキエル」が他の所に移るのを見たら、彼らも<神様がこれから行なわれること>を推測するかということでした。

これが<神様が預言者エゼキエルを通して見せた兆候>でした。


そして神様がおっしゃった通り<裁き>がありました。

神様がおっしゃったとおりに、まず<預言者エゼキエル>が行なったとおりに<エルサレムの王>と<イスラエルの民たち>がエゼキエルのように荷造りをし、バビロンの捕囚になって町の外に出て行きました。


このように神様は<将来、善なり悪なりすべきこと>について、まず<神様が遣わした預言者、使命者、メシヤ>を通して<啓示>や<しるし>や<兆候>として小さく「縮小版」でお見せになります。

そうしてから、その啓示やしるしや兆候に従って大きく「拡大版」で行なわれます。


個人にもそうです。

神様は<将来、善なり悪なり行なうこと>をまず個人に<啓示、しるし、兆候>として「縮小」してお見せになり、その次に「拡大」してそのように行なわれます。


神様が<目的>をもって「兆候としるし」をお見せになる時は、<見せてあげるものを通して悟らせる内容>が重要です。

このことをちゃんと悟ってこそ、「目的としたこと」をちゃんと分かるようになります。


神様は<万物の特徴>があるから、小さくても「その万物」で見せてくださり、<夢>を通しても「啓示と兆候」を見せてくださり、<現実>で「目的」を履行なさいます。


これから神様が<見せてくださったもの>がどういう内容なのか、<その特性>を分かって、「現実と結び付けて」見ることを願います。

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날짜
2017/08/30 0:07:32