말씀_설교말씀

祈りと御言葉と感謝

본문 .

[本文]

イザヤ書40章28~31節、

マタイによる福音書17章20節、18章19節、21章18~22節、

ヨハネによる福音書1章1~3節、1章14節、10章35~36節、

テサロニケ人への第一の手紙5章16~18章



ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と主の平安を祈ります。



まず「祈りと御言葉」について話します。


聖書でイエス様が「求めたら与える」とおっしゃいました。どうしてくださるでしょうか?自分が自分のものを祈って求めるから、神様と聖霊様とイエス様は、ふさわしいので、手間取らずにくださるということです。



一人でただ深く祈る祈りより、イエス様と対話しながら祈る祈りの方が実質的な祈りです。「祈りは対話」です。祈りは愛です。


祈ってこそ、気を受けます。御言葉をもらってこそ、気を受けます。気は力です。


何か心配な問題が起こり、悩んだら、気が抜けていきます。心配なことが解決されたら気を受けます。気は力です。



愛する人を通して気を受けます。主を愛して走りながら、主の御心通りに行なったら、気を受けます。愛の気はあまりにも強いです。


気は喜びであり、気分であり、エネルギーです。


だから自分が願っていることが駄目になると、喜びが消え、気分が悪くなり、エネルギーが消えて、気が抜けていきます。反面、やっていることがうまくいけば、嬉しく、気分が良く、エネルギーが生じて、気が来ます。


気は「心」とも同じです。


だから心をどのように決めるかによって、気が左右されたりもします。だから諦めたら気がすっぽり抜けていきます。信じてより頼み、希望を持ったら、気を受けて力が湧きます。大胆であってこそ、気が来ます。行なってこそ、イエス様が気を与えて、気が強く来ます。



「祈りの気」、「御言葉の気」はあまりにも大きい力です。


だからイエス様は「信じて祈れば山を移す気が来る。だから山を移したのと同じ、奇跡の働きをする」とおっしゃったのです。


イエス様が、御言葉をもらった人は神になるとおっしゃいましたが、イエス様の御言葉をもらったので、本当に神になって、飛び回りました。


神様とイエス様の御言葉を伝え、イエス様の肉になって、イエス様を愛して生きたら、イエス様の気が出て行ってしるしを起こします。御言葉をもらうとき気が来るし、御言葉を伝えるとき気が来てしるしを起こします。イエス様と対話し、愛してこそ、気が波のように押し寄せて来ます。祈りの気、御言葉の気です。


「気」も御力であり、「気」も神様の御働き、イエス様の御働きです。


イエス様は能力者で、霊妙者で、超人でいらっしゃいます。イエス様が共にし、イエス様が下さる気を受けると、イエス様に従って能力者になり、超人になって飛び回ります。


イザヤが、主を仰ぐ者は新しい力を得ると言いましたが、やはり命の御言葉でした。




これから「感謝」に関する御言葉を伝えます。


地球全体の面積の100億万分の1の面積だけを使って生きるとしても、自分が使うもののことにだけ感謝するのではなく、宇宙と地球全体のために神様に感謝することを願います。自分が使う空間以外に、一生手と足がそこに行かなかったとしても、一人で宇宙と地球を全て使っているかのように感謝しなければなりません。


自分が使う100億万分の1の面積と空間を作るために、神様は宇宙と地球を作られたからです。だから、宇宙と地球を作られた神様に感謝しなさいということです。



各自が使う空間だけを小さく作ることはできません。そうしたら、重力によって飛ばされてちりになります。だから神様とイエス様と聖霊様にも感謝し、栄光を帰さなければなりません。



神様とイエス様と聖霊様に感謝し愛したら、気が来ます。御力と力が来ます。


今日の御言葉で気を受け、力を受けて、みな走り、飛ぶことを祝福します。

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날짜
2012/02/12 14:18:14