[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文]
マタイによる福音書7章7~11節
7)求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8)すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
9)あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
10)魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
11)このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
マタイによる福音書24章13節
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
<山>を登る途中でやめるか、登っても「普通にみんなが登る所」までしか登らなければ、足は楽だが、「山で得るもの」がありません。
<祈りの山>もそうです。
<祈りの山>を登る途中でやめるか、登っても「普通にみんなが登る所」までしか登らなければ、「得るもの」がありません。
人々が「山の頂上」まで登って、もっと降りて行ってみることをしないように、祈る時も「頂上」までだけして、その「限界以上」は越えて行ってみようとしません。
しかし頂上の最高峰を越えて「人々が行き来しない所」まで行ったら、<頂上よりもっと次元の高い所>があります。
これと同じく、祈りも最高峰を越えて「限界以上」にもっとしたら、<もっと次元の高い世界>を見て、得るようになります。
<祈り>は「仕事」です。
家を建てる仕事をしたら、必ず「家」が建てられます。働いた分だけ仕事ができるし、物足りなくしたら、物足りなくなるから、100%やることを願います。
祈る時、いろいろなことが思い浮かび、悟って、もっと深く祈るようになるから、最後まで切実に祈ってみてください。そして実践することを願います。