말씀_설교말씀

聖霊と主が行われる歴史。行なったとおりに報いてあげよう

본문 マタイによる福音書16章27節、ヨハネの黙示録1章8節

マタイによる福音書16章27節
27)人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
ヨハネの黙示録1章8節

8)今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。


神様の法は大きく'基本法'と'行なった通り報いて下さる法'の2つがあります。
基本法は、時が来れば日が昇って落ち、時が来れば雨が降ることを、悪人には雨を降らさず、善人だけに雨を降らすのではなく、皆に雨を降らし、太陽を照らすことを言います。

もう1つは、行なった通りに報いて下さる法則です。
これは愛の法則であり、公義の法則で、良く接すれば良く接して下さるけれど、悪く接すれば良く接してくれることはありません。
この法は、言葉通り善を行なえば善で、悪を行なえば悪で受けるのです。

人が不義を行なえば、神様が直接手をつけることもあるけれど、大抵は本人が行なった通り受けるようになります。
例えば、本人が運転をめちゃくちゃにしておいて、"神様、守って下さい"というのは公義ではありません。
自分が信号を守らず、運転をめちゃくちゃにした通り、事故が起こるしかありません。
つまり自分の行ない通りに実を結ぶのです。

だから神様に毎日よくして下さいとばかり言わず、自分を作って、神様の御心に従って行ない、行なった通りに受ける皆になることを祝福します。


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날짜
2019/04/10 10:09:16