イザヤ書11章2節から3節
2)その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
3)彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず、
イザヤ書33章6節
6)また主は救と知恵と知識を豊かにして、あなたの代を堅く立てられる。主を恐れることはその宝である。
イザヤ書40章31節
31)しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
人は自分の好きなことを楽しみにして生きていきます。
ある人は金を稼ぐことを楽しみにし、ある人は政治をすることを楽しみにし、またある人は芸術をすることを楽しみにするなど、様々なことを楽しみにして生きています。
しかし、メシアは神様を敬い、"愛"し、仕えることを楽しみにすると聖書の本文に出てきます。
それでは神様を"愛"するということはどういうことでしょうか?
神様の心を分かってさしあげ、願われることをして差し上げ、その働きをして差し上げることです。
辛く苦しくても変わることなく、地球が休まず自転と公転をするように、中断することなく神様を愛することです。
神様も私たちを愛し、助けることを楽しみにして行なわれるから、
人生の様々な楽しみがありますが、皆が神様を愛することに核を置いて行なうことを祝福します。