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[週刊ジャーナル] キリスト教の新しい試み、キリスト教福音宣教会





週刊ジャーナル

 



 

鄭明析牧師の御言葉を聞く宣教会のメンバーたち




キリスト教福音宣教会(www.cgm.or.kr)

時折、都心の道ばたや公共の場所で主に若い青年たちで構成される彼らの活動が目にとまった。市民と共にする道端公園、ミュージカル、フージョンミュージックなど、彼らの活動は普通に知っている宗教人たちの節制した姿よりも、もっと刺激的で自由に見えた。キリスト教福音宣教会の知られていない裏側を知りたくなった。


某放送局で、鄭牧師のスキャンダルを扱った番組を何度もしたことがあり、宣教会がマスコミに対する不信を持っていないかという考えから、慎重に宣教会の関係者に会った。意外にも宣教会の関係者はとても明るい表情だった。


- 放送以降、宣教会の内部で多くの動揺があったのではないか?

宣教会では注目するほどの動揺はなかった。むしろ、聖徒たちの活動がもっと活発になったと思う。


- 放送に接した一般人たちは宣教会や鄭明析牧師に対してとても否定的な考えを持っていると思うが、宣教会のメンバーたちは全く放送の内容を信頼していないということか?

本宣教会の聖徒たちは鄭明析牧師の生と生活をそばで見てきた人たちだ。鄭牧師がどのように信仰を教えて模範を見せたのかを見て、また教えの通りに自ら信仰生活をしてきながらその方の教えがどう正しいのかを知っている。だから、揺れることはあり得ない。


- 鄭明析牧師の現在の活動はどのように紹介できるか?

まず、海外宣教活動を挙げることができる。1982年、本宣教会が創立されて約20年が過ぎた。これまで、世界13カ国に宣教活動をした。しかし、鄭牧師が韓国にだけいらっしゃることによって、外国の宣教活動は思うように進まなかった。それで、1998年から鄭牧師は本人が直接海外宣教活動をすることにされた。1999年ヨーロッパで最初の宣教を始められ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアに宣教の土台を立てて、現在までヨーロッパとアメリカ地域を巡って40カ国に福音を伝える旺盛な宣教活動を広げている。

また、他の働きとしては、執筆活動を挙げることができる。今まで約20冊の分量の本を執筆し、近々出版を控えている。この本は大きく二つに分類することができるが、一つ目は鄭牧師が生きてきながら体験した神様の愛について記録したもので、特にベトナム戦争に参戦した際、70回を超える死の危機から命を救ってくださった神様の恵みと、鄭牧師自身が極限の危機の中でも命を愛して神様に寄りすがった出来事を記録したものだ。そして、二つ目は救いについて、神様がくださった新しい御言葉を記録したものだ。


- 宣教会のメンバーたちが鄭明析牧師を絶対的に信じてついていく理由がどこにあるのか?

その点は本戦教会聖徒たちごとに、それぞれの立場が全て違うと思う。私の立場ではまず鄭牧師が伝える御言葉 が生き血得る御言葉を悟ったからだ。生きているという意味は御言葉が私の日常生活に必要な教訓で終わらずに、生活の中で実際に成されているということを意味する。そして、もう一つ、鄭明析牧師は自分が説教した御言葉を自らが一番徹底的に守って生きる実践家だからだ。私はここで生きている信仰を見た。

 


 

宣教会創立者である鄭明析牧師

 

- 鄭明析牧師が生活の中で模範を見せる、もしくは実践家だというが、実例を挙げるとすれば?

- このような出来事があった。ある日、鄭牧師が外国にいらっしゃる時、ある山に上った。そこで、神様に祈って讃美をしようとすると、山を登って行くのに体についた汗を洗い流さなければならないのに、渓谷に水がなかった。ただ少しだけ水溜りには残った水に木の葉っぱが落ちて、悪臭を放っていた。


その国は4ヶ月間雨が振らず、干ばつが激しかった。鄭牧師は「神様の園がどのように腐って悪臭を放っているとは…」と言って、手で悪臭漂う水溜りの腐った水を掘り出した。しかし、いくら掘っても洗っても、手では完全に綺麗にすることができなくて神様の祈った。

「神様の園がこのように腐って悪臭を放つので、雨を降らせて洗い流してください。そうすれば、ここを私がもっと磨き上げて綺麗な水で体を洗って飲んで神様に讃美と栄光を捧げなければなりません。」といって祈ると、山々がうなるほどの大きな声で讃美をした。しばらく讃美をすると、4ヶ月間ずっと降らなかった雨が降り始めた。まるで、旧約聖書に出てくるエリヤが祈った時に3年半の間降らなかった雨が降ったことのように、神様が答えてくださったのだ。

鄭牧師はほうきを手に取って渓谷があるたびに腐ってたまった水をはわき出した。雨が降るのだけでは隅々まで掃除できなかったためだ。隅々まで全部きれいにしたが、そのすべての場所をきれいにするには一日二日ではだめで、また3日間雨を降らせてくださいと祈って本当に奇跡のように雨は3日間降った。

鄭牧師は雨水で滑りやすくなって危険な岩に上って掃除を終えた後、感謝の祈りと讃美を捧げながら、神様がくださった大きな悟りを得られたが、まさにこのように腐った水溜りを掃除するように、世の中に堕落した心と行ないをぜんぶ掃除することがまさに自分の命だということだ。また、そのような働きは神様がくださる恵みの雨と使命者のもがく実践がなければならないということだ。雨が降ったからといってそのままで掃除されるのではないように、天の御言葉だけを聞いたからと言って救いが成されるのではなく、その御言葉を通して人間が行なうべき責任をすべて果たした時、ようやく救いに相応しい清い存在として生まれ変わることができるという教訓を伝えてくださった。

また、生活実践の中で一つ挙げるとするならば、本宣教会の修練院を開発したことだ。7年を超える期間を経て開発された修練院は、本宣教会で人を雇って作ったものではない。その長い歳月を鄭牧師が自らスコップを取って土と岩を運んで、聖徒たちが彼についていって力を合わせて開発したものだ。修練院の渓谷ごとに敷かれている道はみな鄭牧師が自ら薮をかき分けて作った道だ。

特に道を作りながら経験した困難を通して、「このように道を作ることは、道を修めることだ。山に道を作るのも難しいのに、人生の真の道を作ることはどれほど難しいだろうか?」という箴言を伝えられたことが今も記憶に新しい。


- キリスト教福音宣教会で伝える教理が他の教理と異なるものがあるとすれば何か?

最も代表的なもので、終末についての思想、裁きについての概念、復活についての理解の違いを挙げることができる。一般的には終末が来ると地球が火で滅亡して、イエス様を信じる人たちは空中に持ち上げられて上がって行き新しい天と地でイエス様と共にいるようになると教える。反面、本宣教会は終末とは地球が火に焼かれてなくなるのではなく、古くなった過去の時代が過ぎ去って神様の新しい計画と御心を担当する発展した新しい時代がくることだとみている。したがって、人類は不幸な最後を待つのではなく、もっと希望的な世界を待っているということだ。その根拠としては、旧約聖書伝道の書1:4の「世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。」という聖句を見てみよう。


裁きについては、まず火で裁くという主張について、火の概念を理解しなければならない。一般的に終末の時堕落した地球を火で焼いてなくす裁きだと思っているが、聖書で火は御言葉を喩えたもので、終末の時には神様が新しい御言葉で堕落した人間を悔い改めるようにさせ変化させて、新しい人に生まれ変わらせることを火の裁きだとみている。人間を愛する神様の裁きは罰を与えるためのものというよりは、間違いを悟らせてあげて正しく立て直すためのものだ。聖書で御言葉を火に喩えた例はペテロの第2の手紙3:7等を初めとして多くのところから見つけることができる。


復活については人の肉体が死んでから裁きの時に生き返ると話していることについて、人の肉体ではなく人にある霊が神様の御言葉を聞いて生き返ることを話しているのであり、生き返ったというのは人間が神様の御心を正しく分かって悟り、その御心通りに生きていくことを意味する。この時、肉体はより善なる精神と行動に生き返るようになるが、これを行動的な復活という。つまり、死んだ肉体が再び生き返るのではなく、死んだ精神と行ないが生き返るのだ。その聖書の根拠によって、ヨハネによる福音書5:24のイエス様の御言葉「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」と6:63「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。」を挙げることができる。


- 宣教会は若いメンバーが多く、芸術活動が活発だ。宗教と芸術活動はどのような関連なのか?また、宣教会で広げられる文化芸術活動は宣教戦略の一環なのか?

宗教は理論ではなく生活だ。神様を愛することでその方の性格に似ようとし、御言葉を聞いて実践するのだ。このように神様を愛する人にプレゼントとしてくださるのが文化と芸術だ。本宣教会の文化芸術活動は神様に対する感謝の表現だ。

この芸術活動は余興とはまったく異なって、真の感動を備えている。この感動を経験した人たちに芸術の根源者でいらっしゃる神様を紹介するだけだ。これを宣教のための戦略と言うのならば、根本を知らずに話す言葉だ。


- 宣教会で行なっている文化芸術活動はどのようなものがあるのか?

メンバー間で自体的なサークル運営の概念でなされるものを除いて、公式的になされるものだけを見ると、まず公演分野として国楽(フージョン、伝統)、オーケストラ、声楽、ミュージカル、演劇、古典・現代舞踊、チアリーディング、ジャズダンス、軽音楽、武術、モデル、管楽隊、マジックショー、作曲等があり、展示分野ではパインアート、彫刻、七宝、衣装、アニメ、映像、その他各種のパフォーマンス等がある。スポーツ活動としては、サッカー、バレー、バスケ、テニス、卓球、水泳、スキー、乗馬、登山等があり、ボランティア活動としては、文化芸術ボランティア、花の村訪問、病院讃美、障害者施設ボランティア、ワールドカップボランティア活動などをあげることができる。今までボランティア活動はチーム別に行なわれており、特にサッカー協会が主催する会社員サッカー大会は業務に疲れた社会人たちに健康な生活の活力を与えている。上記の活動はすべて本宣教会メンバーでなくても自由に参加することができる。


 ▲釜山、kbs公開ホール講演会


- ワールドカップボランティアとは具体的にどのような活動を挙げられるか?

ワールドカップの前の大邱FAカップ大会時、オープニング公演の相当な部分を担当した。そして、開幕式行事の1000人チア公演と市内で外国人たちに行なったホームステイ活動、韓国をよく理解するためのハウスパーティ等を代表的な活動として挙げられる。


- 現在、世界的にキリスト教福音宣教会の規模はどのくらいになるのか?

まず、韓国には250余りの地域がある。そして、国別のメンバー数はまだ正確な集計ができていないが、現在、福音が伝播されたところは約40カ国にのぼり、各国にも地域別の地域会がある。


- 宣教会が強調する会則があるとすればどのようなものか?

本宣教会で最も重要なものとして教育するのが実践の部分だ。信仰人の基本とも言える祈りと讃美はもちろんのこと、特に若い青年たちが多いので性教育が一番徹底している。不健全な異性接触をやめさせ、ひたすら神様の精神と思想で成長した後に神様の祝福で結ばれる健康な結婚観を持つようにする。また、私たちの体は神様がいらっしゃる聖なる聖殿だという聖書の御言葉に基づいて、酒・たばこもまた絶対にやらない。


- 今後の宣教会の活動計画は?

キリスト教福音宣教会と創立者鄭明析牧師は「この地に神様の国建設」を活動目標としている。この概念をもって、これからは過ぎた20年を通した韓国での信仰的勝利を超えて、世界に向かう新しい挑戦をするだろう。今は新しい時代だ。すべてのことが新しくなった。神様の御心と計画も新しくなった。これを世界に伝えることが目標だ。多くの宣教師たちを養成して派遣し、世界中に信仰だけでなく韓国の美しさも伝え、国際交流を通しての平和世界を具現化するうえで先頭に立つだろう。

私たちがヨーロッパとアメリカ地域で宣教活動を広げていることは本当に励みになることだ。過去には私たちが西洋からキリスト教を受け入れた。これからは逆に私たちが新しい御言葉と神様の計画を西洋の先進国に伝えるのだ。今彼らが韓国で始まったこの御言葉を聞くために韓国語を学んでいる。どれほど誇らしいことか?

 



 

 



 

記者が出会ったキリスト教福音宣教会の人々は、堂々とした自信に満ち溢れていた。彼らは新たな歴史の脈をつないでいる。キリスト教福音宣教会が迎える未来がとても気になるところだ。<イ・ソンヨン記者>

 



 

 


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날짜
2003/03/20