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[ダイナミックコリア] 仁川永遠教会「チョン・ファ」担任牧師の聖書の話

聖書には多くの預言者あるいは先見者と呼ばれる使命者たちが登場する。

 

彼らは声を上げ、その時代に対するメッセージを伝達するが、独特なのは、彼らは「自分が悟った」とか「このようにすればどのようになる」という勧告の表現を使わないことだ。ただ、「私に神様の御言葉が下り、このようにしなさいとおっしゃったので、あなたたちは聞きなさい」という多少攻撃的で直接的な表現で大衆の前に現れる。

 

  このようなメッセージを信じて受け入れるならこれといって問題はないが、それなりに社会的地位や専門分野で活動している自尊心が強い人たちは『何様のつもりで、こうしろああしろと言うのか』と思って、心の扉を開くのが難しいようだ。

 

 しかし、人は生きながら多くの危険に直面するようになる。そうだとしたら、今後起こることについて知らずに苦痛を受けるより、一旦耳を傾けてみるのも良いのではないか。

 

 最近、『人類を変えた5つの機械』という題目のテレビ番組で『センサー』をその一例に挙げていた。辞書的な意味でセンサー(Sensor)は、ある外部の刺激に対して反応を感知できる装置やシステムを指す。一台当たり韓国ウォンで2兆ウォンの値をつける早期警報器(early warning aircraft)が北朝鮮の挑発の徴候を監視できるのもコンピュータとセンサーの技術発達があるから可能なことだ。

 

 預言者たちは一種の早期警報器の役割をすると見ることができる。

 

 アモス書37節を見ると、神様が何かを行なわれる時、ご自身の秘密をその預言者たちに必ずお示しになると書いてある。それに対し預言者たちは「私が見たものがあるからのべ伝えるのだ」と答えている。つまり、霊的な早期警報器が鳴る時には、神様がこの地上に具体的な摂理を広げるという御心を知らせているのだ。

 

 類推してみると、人類の救いの歴史もそうだが、人類の大小の事柄にも個人の大小の事柄にも神様は兆候と言える出来事で緊張させ、前もって準備させる。目を覚まして準備した人たちは危機を克服し、むしろ祝福と(災い転じて福となす)したこともあるし、そう出来なかった人たちは千年万年続きそうだった栄華が崩れ、歴史の裏街道に跡形も無く消えてしまうこともあった。

 

 2007年末に起きた西海岸原油流出事故も鉄線が切れた引き船や油槽船、航観室、海洋水産部でもう少しだけ神経を遣っていたら、あれほど大きな事故につながらなかっただろう。また、もう少しだけ早く事故を収拾していたら、百十万人以上のボランティアたちが真っ黒に染まった海辺で汲んでも汲んでもあふれる原油で心を痛めることもなかっただろう。

 

 一度考えてみよう。ある事故に遭った時、それを解決してくれたことがありがたいことなのか、あるいは事故に遭う前に前もって準備させて事故を免れさせてくれたことがありがたいことなのか…

 

 改めて考えてみれば自明なことなのに、大部分の人々は不思議にもある事故に遭って大変な時助けてくれたことをとてつもなく大きく考え、ありがたく思う。しかし、もし事件を未然に防止できるようにしてくれることで、事故による精神的、肉体的、物質的苦痛から抜け出すために必要なものすごい努力と時間の浪費を防いでくれるなら、また、何の被害もなく元の道をちゃんと行けるようにしてくれる人(もの)がいるなら、人生にどれほど大きくも大きい助けになるだろうか。

 

 しかし、原油流出事故の過程がそうであるように、「ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった」と伝道の書の筆者は9章で悟らせてくれている。

 

 信仰的に見る時、罪の問題も同じだ。罪を犯して苦痛を受けて悔い改めるのはとても大変だ。我慢して罪を犯さない方がはるかに易しい。我慢して罪を犯さないことで地獄(現世と来世)と関係ない人にならなければならない。

 

 耳障りだからといって無条件拒否するのではなく、謙遜に小さい者―自分が大きいと思う人なら、その人にむやみに行なわないだろう―を通して救いにふさわしい御働きをなさる神様の声に耳を傾けられる知恵がいっそう必要な時だ。

 

/チョン・ファ牧師

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날짜
2009/12/02