뉴스_보도자료

[EBC] 新時代が咲き誇る





【新時代が咲き誇る】

【神様の愛で人生作品を造る偉大な信仰者】

 

一体どのような力によって、人々は365日休まずに明け方の祈りを続けているのでしょうか。

 

一体どのような力によって、人々は凍てつくような寒さの中でも断食の祈りをし、平和を求めているのでしょうか。

 

一体どのような力によって、若者たちが暗黒の堕落を拒絶し、信仰へと立ち返るのでしょうか。

 

今日ご紹介するのは、人を造る達人·CGMキリスト教福音宣教教会の総会長牧師です。

 

彼がどのようにして御言葉によって、私達のような普通の人々を成功へと育て導いているのか見てみましょう。

 

 

【私の夢】

 

【一人の眷村()の子供が】

台湾において外省人が居住する地区

 

【どのようにして栄誉ある舞台に上がり

 

全国優秀電機エンジニアとなったのか】

 

 

【全国優秀青年エンジニア 鄒福明(シュウ・フクメイ)】

 

私は小さい頃から台南の下の眷村で暮らしていました。

 

その村は特に高級な村というわけでもありませんでした。

 

だから知識の水準もとても低かったですし、

 

私の同級生の中でも、

 

約10人中約5人は喧嘩して騒ぐような人でしたし、

 

大部分の人は職業学校や専門学校に通い、

 

 

そうでなければ軍人学校に通っていました。

 

【幼稚園時代】【中学校時代】【家族写真】

 

村全体でも高校に進学したのは私一人だけでした。

 

大学に進学したのも私一人だけでした。

 

【高校時代】

 

そのような環境から出てきた関係で、

私にとって夢とは実際は非常に小さなものでした。

 

台南一中から卒業した後、

 

私は全ての人が予想もつかない好成績を出し、

 

【台湾大学電機学部】

 

台湾大学電機学部に受かりました。

 

神様が守ってくださりながら、

 

順調に台湾大学の電機学部を卒業しました。

 

【永康郷役場からの賞状~清寒優秀学生奨学金】

 

それでも順調に大学院にエスカレーターで入りました。

 

【賞状~晴れて奨学金を獲得】

 

【大学院時代】

 

研究室を卒業してから、

 

私は、「私の人生の大部分は

もう大体ここまでだろう」と思いました。

 

【軍隊時代】

 

「もう次は働くのだな」と思いました。

 

しかし、神様の御働きのもとで

 

私は仕事を探すの過程中で

 

多くの困難と阻害に遭いました。

 

当時のプレッシャーはとても大きいものでした。

 

なぜなら、同期の中で軍隊にならない人や

 

女性はとても良い仕事をすでに見つけていたからです。

 

【大学 台湾大学電機学部

 

修士博士 台湾大学電信エンジニア研究所】

 

教会の牧師は私に博士課程を受けるよう勧めました。

 

本来は博士課程に進むということは、私にとっては計画の中に完全にありませんでした。

しかし、私がお祈りしている中で、神様がとても大きな感動をくださいました。

 

だから、この道を行こうと決心しました。

 

【鄒宇帆(シュウウホ) 鄒弘翔(シュウコウショウ)】

 

博士課程の期間を経て、

 

私は生活と信仰は一体だということを悟りました。

 

そのような姿勢を将来の職場でも表さないといけないと思いました。

 

しかし、実際のところ信仰も生活もしっかりさせることは

 

本当に非常に易しいことではないことです。

 

普通の同僚は仕事が終われば、語学を勉強にしに行ったり、または他の娯楽を学びに行ったり、

 

街中を歩いたり、休んだりしていました。

 

しかし、私はそのような時間を教会で走り、仕事をすることに使いました。

 

そのような課程の中で、神様ともっとうまく疎通したいと願いました。

 

【主日礼拝献詩】

【妻 李心瑩(リ・シンエイ)】

 

ある日私の長官が突然私に、「鄒博 40歳になったか?

 

私はあなたを中国電気エンジニア学会の優秀青年電機エンジニア選抜に推薦しようと思う。」と言いました。

 

当時の私の最初の考えでは「もういいでしょう。私の時間が余っているとでも思いますか。」と言おうと思いました。

 

「またそのようなことを私にさせようとしているのか。」と。

 

その後、私がその知らせを聞いた時は彼が帰って来てとても遅い時間でしたが、

 

その後にとても疲れたような語気でこのことを彼が私に訴えかけた時、

 

私は当時、「とても素敵なことではないか。」と感じました。

 

「もし万が一、本当にこの賞を得て、証ができたら、どんなに良いだろうか。」と思いました。

 

だから次の日の明け方のお祈りの時、

 

【明け方4時のお祈り】

 

最初とても負担に感じた考えを神様に悔い改めました。

 

その次の日仕事に行くと、私の長官が突然、以前のある一人の人が書いた

 

このような一つの履歴と仕事への貢献(についての資料)を渡しました。

 

「これを参考にして、このような方法で仕事での姿勢を表しなさい。」と彼は言いました。

 

本当に神様にとても感謝します。

 

このように主が一つの指示をくださったので、

 

私は、とても良く、とても完全に、一つの仕事の履歴と貢献について書き上げることが出来ました。

 

そうであっても、私の心の中での考えは、「まさか選ばれないだろう

 

学校の教授でもないし、そのような機会もないだろう

 

人に見られることもないだろう」

 

というような考えを心の中では依然抱いていました。

 

そして1024日のことでした。

 

バスを待っている時間にパソコンを開きました。

 

メールをチェックしている時、

 

驚くことに、私が優秀青年電機エンジニアに選ばれたことを知りました。

 

私の会社の総支配人は中国の電機エンジニア学会の審査委員なので、

 

彼の推薦と助けがあったからこそ、

 

優秀青年電機エンジニアに選ばれることが出来ました。

 

思わぬことに私達の総支配人はこのように私に言いました。

 

彼は、「あなたが選ばれたのは本当に易しいことではない。

 

なぜなら、選出する当日、私は出国したばかりだったので、

 

本当にあなたを推薦する方法がなかった。

 

102年優秀青年電機エンジニア賞】

 

だからその当時、本当にとてもとても驚きました。

 

本当に神様の御働きだと思いました。

 

【優秀青年電機エンジニア表彰式】

 

もし神様でなければ、このようなことは絶対に起きることはありませんでした。

 

この全てにおいて、神様と、

 

私を教え神様に出会わせてくださった鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師に、とても感謝しています。

 

困難と労苦にぶつかった時、

 

【福音宣教会CGM

 

この御言葉で立ち向かうことが出来ましたし、

 

信仰こそが私の力となりました。

 

それがあって私も自分の夢を超える祝福を得ることが出来ました。

 

主は本当に生きていらっしゃる主です。

 

本当に私達の心を見られて働かれる主です。

 

全ての栄光を主に帰します。ハレルヤ

 

【かつて何も持っていなかった貧しい少年が】

 

【主の愛によって】

21歳で人々が羨む経営コンサルタントの職を得ました。\

 

【林建良(リン・ケンリョウ)夢を叶える道中での神様との偶然の出会い】

 

私には小さい頃からの夢があります。

それは、大企業の最高経営責任者になることです。

 

 

しかし、育ったバックグラウンドにより

 

私は非常に現実的な人間になりました。

 

人と行動を共にし

 

またいつも、利益を優先しました。

 

ずっと

 

物質を追い求めることが私の唯一の目標でした。

 

大学時代の私は

 

とても熱心に

 

そして積極的にありとあらゆる機会を奪い取りました。

商学部が開催する講演会には、大小問わず参加し

 

講演の中から多くのことを確実に学び取りました。

 

しかし、成功する方法は全く見つかりません。

 

少しずつ

 

私は自分自身の人生の道を探し始め、

 

夢について迷うようになりました。

 

 

丁度その時

 

勉強のために実家から台北に上京していた私には

 

お金もそれほど持っていなく、

 

また、台北に知り合いもそれほどいなく、

 

だから、完全に孤独でした。

 

食うや食わずの生活を過ごしていました。

 

そして、その時

幸運にも一人、寛大な先輩がいました。

 

台北にある私の家賃のほとんどを負担してくれた先輩でした。

 

建良(ケンリョウ)と浩淵(コウエン)先輩

 

この先輩は、とても我慢強く、

繊細かつ熱心に私を教え導いてくれました。

 

 

一度、

 

私がひどく辛かった時

 

大きな声で先輩に質問しました。

 

どうして私に関心を払ってくださるのですか。

 

私はあなたの話をまったく聞き入れていないし、

 

いつも私が話したいことを話していたのに。

 

しかし、先輩は笑いながら言いました。

 

なぜなら摂理の中で

神様の御言葉を持って私を教え導いて下さった鄭明析(チョン・ミョンソク)総会長牧師も

 

このように行なったからだよ。

 

私があなたに関心を払っていると言うより

 

あなたのことを愛している神様が

 

私を通してあなたを気にかけていると言ったほうが良いね。

 

 

その時

 

私はまだ神様をどう感じていいのか分かりませんでした。

 

ある日の夜、

 

夜ごはんを買いに行こうとしていた時、

 

自分には十元硬貨が二枚しかないことに気が付きました。

 

 

その時、本当にすごく神様に不平を言いたくなりました。

 

しかし、その時先輩がいつも言っていた言葉が思い出されたのです。

 

私は、あなたのためにお祈りをしているよ。

主がいつもあなたの隣にいることを感じるよ。

 

 

私は考えました。

 

例えば、神様が、私のことをすごく愛しているとして

神様が、私がこのようにしている姿を見たら

辛く思うのではないだろうか

 

その時おもむろに、愛は神様が最も期待される反応だ、という言葉が思い出されました。

 

そこで私は、力を込めて次の言葉を口に出して言ってみました。

 

主よ、愛しています。

 

その時

今まで泣いたことがない私の顔に、初めて熱い涙が流れ落ちました。

 

この時、私はやっと悟りました。

 

小さい頃から友達がいなかった私だけど、

小さい頃から両親からも隅に追いやられていた私だけど、

 

本当はそんな私を慈しんでくれる人が実はいたのだ

 

本当は主が私をとても愛して下さっていたのだ

 

先輩が言っていたことは正しかったのです。

 

主日の礼拝を通して、主は私を愛し、私を守って下さり、

 

私が生きる目的は愛だったのです。

 

 

その日から

 

手に入れた力をもって

 

毎日の生活を変化させ始めました。

心・精神・考えから生活に至るまで

 

全ての部分においてひとつひとつ変化さました

 

 

漸進的に

学業面での努力が目に見え始めました。

 

 [政治大学金融学部 同学部同学年内平均成績第一位]

 

そして私は、金融学部が創設されて以来最高の平均成績を収めました。

 

 [賞状 学業成績優位 クラス第一位]

 

時を同じくして、私は財政部の部長に任命され、

 

また、スタンダード&プアーズアジア社長が政治大学で授業をする際の学術アシスタントにも任命されました。

 

 [世界最大の国際商学栄誉学会 唯一の政治大学代表]

 

さらに、私は現在101タワー正面にある有名な経営コンサルタント会社において

 

顧問を任されています。

 

私が担当しているコンサルタント会社は

 

今まで大学生を採用したがりませんでしたが

大学四年生の私を快く採用し、顧問の役割も与えてくれました。

 

私はまた、同僚との実力の差を埋めようと努力しました。

 

そのため、一年満たないのにも関わらず、

私の担当者の推薦により、会社の同僚の中でのベンチマークになりました。

 

私は、会社創設以来、初めて、この特殊な栄誉を受けた実習生になりました。

 

私が成した全てのことは

神様の御言葉が導きによるものです。

 

さらに、より高い次元の考えで行えるように神様が私に集中させてくださったからできたことです。

 

 [福音宣教会 TCGM 演劇演出]

 

私の努力によって多くの良いものを得た後には

私は、神様により一層感謝しました。

 

校内スピーチ

 

結果、神様は

私に更に多くの祝福を下さいました。

 

さらに、私は与えることと、

 

周りの全ての人に関心を払うことを学びました。

 

過去、冷淡で現実的だった

自分を振り返って考えてみると

本当に簡単なことではありませんでした。

 

浩淵(コウエン)先輩 建良(ケンリョウ)が神様を分かった後の変化

 

彼は、顔に笑顔を浮かべない人でした。

 

いつも頭中、

どのようにしたら成績が良くなるのか、

どうやったら将来自分が成功できるかを考えていました。

 

神様の御言葉を学ぶようになってから

 

彼は、人が完全に変わりました。

 

今の彼は

 

喜んで人を助け

 

人と分かち合うことが出来ます。

 

神様が彼に働かれ、

 

また、神様の愛を持って

身の回りの人や身に起こる物事に立ち向かう

 

一個年輕人

一人の若者へと変化しました。

 

それは、心の中に愛と聖霊が満ちているからです。

 

私は、与えたから

 

より幸福な生活を過ごしており、

 

 

そして今では

 

神様の夢が私の夢になりました。

私の名前は林建良(リン・ケンリョウ)

愛と駆け回るような実践によって変化を遂げることができました。

 

私は夢を叶える道中で

偶然神様に出会ったのです。

 

 [あなたの初めは小さくあっても、あなたの終りは非常に大きくなるであろう。ヨブ記8:7]

 

 

CGM台湾キリスト教福音宣教会の総会長牧師

 

 [歴史上前例のない人を造る達人]

 

自分自身が最高の教科書になり、

 

信仰、芸術、人文、スポーツ、あらゆる領域において達人となるのです。

 

造ったから、

 

たとえ彼が建てた岩の造形が四回も倒れたとしても、五回目には成功したのです。

 

人生も美しい自然聖殿が花開くのと同じです。

 

このような人生を成功へ導く哲学が

数多くの若者を感動させました。

 

信仰を通して

そして、勇敢に自分を造り、挑戦し続ける精神を通して。

 

続いてのプログラムでは、

 

彼(総会長牧師)がどのように人生を導く先生になったのか

見てみましょう。

 

皆さんこんにちは! 海樹児(カイ・スウエ)と申します。

                        

花蓮県卓渓郷崙天集落の出身で、

 

ブヌン族です。

 

私は生まれて間もない頃にキリスト教の洗礼を受けました。

 

そして私が小学校四年生の時に、

 

父が脳卒中で倒れ、

               

それからは家庭の収入も少なくなり

 

人生をとても辛く思っていました。

   

私はこの山奥の集落で育ちました。

 

政治大学は台北でもかなり郊外にある学校で、

 

特に20年程前はとても寂しいところでした。

 

しかし私はかえってそれが好きで、政治大学に入り、

 

政治学を志望しました。

 

ちょうど私が入学する年、

 

あるいはその前の年に

 

台湾全土で民主化運動、街道運動が活発になり、

 

例えばよくいう520農民運動だったり、

 

原住民の権利のための演説が

 

ほとんどがこの時期にありました。

 

それで私も大学時代にこれらの原住民の街道運動に参加していました。

 

兵役を終えて帰ってきた後、

摂理の兄弟姉妹に接するようになったのですが、

 

その中の一人が、私の後輩でした。

 

御言葉を聞き始めてから、

 

人生と命について新たな考えを持つようになりました。

 

実は私は、30個論の御言葉を聞き始める前から

 

ずっと聖書を読みたいと思っていました。

 

一般のクリスチャン家庭に生まれたこともあって、

 

聖書は一体何について書かれてあるのか知りたかったからです。。

 

昔はただ習慣的に教会に通っていて、

 

教会に通う意味をよく分からず、

 

 

どうして神様を信じなければならないのか、

 

更には、そもそも聖三位とは一体何なのか、

 

深く分かっていませんでした。

そしてこの30個論の御言葉を聞いた後、

 

今まで解けなかった問題が一気に解かれました。

 

ちょうどその時期は、

 

摂理史が最も困難な時期でした。

 

総会長牧師が迫害され、また誤解されていました。

 

その時に台湾の一部メディアも同じことをしました。

 

私は摂理全体を侮蔑されたように感じました。

 

しかし当時私が考えたのは、

 

民俗学の研究をする時に、

 

「参加観察法」という研究方法がありますが、

 

ある組織について、あるいはその中の人々について、

 

あるいはある部族の人々についてよく知らない時には、

 

勝手に判断してはいけないという

この研究方法の姿勢でもって、

 

御言葉を学びました。

 

またメンバー達の生活を見てみると、

 

ほとんどのメンバーが若者で、

 

とても若く

 

大学生がたくさんいることに気づきました。

 

年齢層が若いということにもびっくりしました。

 

なぜなら普通、今の教会には

 

ほとんど老人か子供しかいないからです。

 

集落の教会でも

 

都会にある一般の教会でも

 

若者は滅多に見ることができません。

 

それなのに、ここの若者たちはこんなにも一生懸命に聖書を読み、

御言葉を聞き、

 

熱心にノートを取っていることに

 

本当に驚きました。

 

そのようなことがあって、私はその一年で

 

旧約聖書と新約聖書を一気に完読しました。

 

 

より大切なのは御言葉の教えだと思います。

 

私はどんな事をするにしても、必ず、まず祈って神様に尋ねることを学びました。

 

昔はそういう経験がありませんでしたが、

 

後々には、聖書を読む前にはいつも必ず祈って、このように求めるようになりました。

 

「どうか、聖書を読むときに主が導いてくださり 、

 

私の考えではなく

 

あなたの御心、あなたの考えの通りに私を導いてください」 と。

 

それからは聖書を読むことと、

 

教会に勤しんで通うことによって、

 

考え方も変わり始め、

 

生活も変化し始めました。

 

その時から

 

もう自分を成功させたいとは言わず、

 

自分に向けられた目的を成すことによって、

 

結局自分ではなく

 

聖三位、神様の目的を成したいと思うようになりました。

 

このような心を抱くようになりました。

 

真理と愛に対する悟りも深まり、

 

この御言葉を通して、

 

そして総会長牧師の教えを通して、

 

自分自身がたくさん成長したと思います。

 

鄭明析(チョン・ミョンソク)先生に出会う機会があって、本当に光栄で幸せな人生になりました。

 

私は先生に学び従い、

 

先生がどのように命を導いてこられたのか、どのように運動と芸術に関わってこられたのかも見ました。

 

特に印象深かったのが、

 

ある教会主催のサッカー行事でした。

 

先生もフィールドでサッカーをされていて、

 

私は皆が先生のことがとても好きなんだなということを感じました。

 

その好きというのは

 

一般の世の中の崇拝とは違って、

 

本当に心の底から

 

湧き溢れる感心と尊敬だと感じました。

 

試合が終わった後、

 

鄭明析(チョン・ミョンソク)先生は

 

いつも弟子たちによくしてあげたいと思う方でした。

 

その時はたくさんの人がいて、

 

私の記憶が間違っていなければ、

 

300人以上か

 

400人ほどいました。

 

先生はメンバー一人一人のために

 

飲み物やお茶をついでくさいました。

 

とても暑い日だったので、

 

長い行列の中、

 

一人一人のためにもてなしてくださるその姿をみながら

 

私は先生の手が疲れないだろうかと思うと、

 

感動するしかありませんでした。

 

なぜなら、その姿は無理にやってるのではなく、

 

当たり前のようにしていたからです。

 

先生は本当にその人たちを、

 

私たちをもてなしたかったのです。

 

この御言葉は、

 

ただ普段の職場や学校だけでなく

 

普段の運動や

 

芸術など、

 

これらを通して、多くのことを学び悟ることなのだと思います。

 

なぜなら、信仰というのは

 

 

生活であるのだと悟ったからです。

 

愛というのは、生活の愛なのです。

そして信仰の根本は、

 

全て神様なのです。

 

私は家庭医学専門医の林元郁(リン・ゲンユイ)です。

今日は、神様が鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師を通して、

私の霊と肉の病を癒してくださった経緯を

皆さんに証したいと思います。

 

私が幼いころ、お家は商売をしていましたので、

安定した経済状況とは言えませんでした。

 

そのため、お母さんは口癖のように

「あ~人生は苦しみの海だから、我慢しないといけないよ」と

話していたので、

 

もしかすると、勉強を通して、家の経済状況をよくすることができるかもしれないと考えました。

幸いにも、勉強の道は順調で、医学部に合格しました。

 

でも、卒業する直前、

人生を捧げて、私を大切に育ててくれたお母さんが

まさかの大腸癌末期と診断されました。

当時、家は経済的に生活が困難な状況になりましたが、

頑張るんだ、耐え忍ぶんだと自分自身に言い聞かせていました。

 

生活費と医療費を稼ぐため、

日中の病院での専門医師から訓練を受ける時間以外は、

夜も外の診療所で勤めました。

 

このような生活を始めて少し経った頃、

心身共に疲労困憊し、私自身が病にかかりました。

発端は、朝ベッドから起き上がれないことでした。

疲れてはいましたが、決して出勤したくないからではありませんでした。

 

しかし、ベッドから起き上がると、背中の下の部分が非常に痛く

寝返りができないほどでした。

毎日唇をかみ締め、痛みを我慢して、弾みを使い、跳ね上がる形でようやく起き上がることができました。

元々過労ではないかと思いましたが、

休んでも、症状は一向に良くなりませんでした。

 

私はリウマチ免疫科医に診てもらい、

検査も受けました。

そして、強直性脊椎炎と診断されました。

 

強直性脊椎炎は、白血球が私の関節と腱の骨につく部分に攻撃し、

一連の炎症反応が起きていたのです。

自分も強直性脊椎炎は、痛み止めと免疫調節剤を

飲む方法しかないと分かっていました。

 

2002年に、幸いにも、

私は香港で総会長牧師とお会いできました。

 

牧師は私がこの病気にかかったことを知り、

心を痛められ、私のためにお祈りをしてくださいました。

 

総会長牧師が私のために祈ってくださった瞬間、

非常に大きな電流が

私の頭からつま先まで流れるのを感じました。

 

その瞬間一つ一つの脊椎の腱が骨につく部分が

すべてつながったように感じました。

 

その後、私の病気は奇跡的に治り、

医者の私にとっては本当に信じられませんでした。

これは一時的なことで、明日また発作するのではないかと思いました。

 

翌日、また総会長牧師にお会いし、

今日は必ず通訳を通して、私の病気は自己免疫疾患で、

不治の病だとちゃんと説明しようと思いました。

牧師先生は通訳の方の話を聞いて、

もう一度愛で私のために祈ってくださいました。

 

そして、

「もし、神様が私を通して、あなたの為に癒しのお祈りをしたと信じるなら、

あなたの病気は良くなるよ。」とおっしゃいました。

 

台湾に戻ってきて、私の病気は本当に完全に治りました。

すでに十四年経っていますが、一度も再発していません。

 

私は総会長牧師を通して、神様を知るようになりました。

肉体の病気、心の病気も全て癒されました。

 

 

人生は苦しい海ではなく、

幸せな海である事を悟りました。

人は、生老病死を経験するために生まれたのではなく、

この人生で、肉体を通じて、

神様が教えてくださった愛と真理を実践するのです。

 

 [神様との対話を再開する事を教えるメンター]

命の奇跡は一つの共通点があります。

それは新時代のメンター(良い先生、良い友人?)に出会う事です。

 

CGMキリスト教福音宣教会は、

現在、医学部、学術教授会、法律会、スポーツチーム、

平和オーケストラ、沐光実験劇団、ボランティア団体等、数十個の団体があります。

文化、芸術、スポーツ、聖書の読み方や、豊かな生活面を通じて、

創造主の人類に対する愛を伝えています。

 

総会長鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師が下さる構想で、これらのことを推し進めています。

 

 

彼はベトナム戦争に行ったことがあり、

戦争の残酷さと無情さと戦後の貧困な時期を経験し、

神様に真理を学んで、世界を救おうと決心されました。

 

彼の教えは自分の意思、考えではなく、

全て聖書から来ています。

彼は全世界の人々が神様ともっと近づき、

神様と対話できる素晴らしい時代が再開することを願っています。

新時代の光がほころびます。

조회수
41,479
좋아요
0
댓글
82
날짜
2016/11/12