정명석 목사_나만이 걸어온길

その道は命の救いの道だった


人々はそれぞれ各自の道を歩んでいく。鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師も自分だけが歩んできた人生の道がある。その道を振り返ってみると、全ての人たちと共に今日の天の人生を生きるためだった。その人生の苦痛と苦悩は全て、暗闇の中から光を見るためだったので、ある日の苦しみは、今日の喜びになった。


この世の全ての英雄烈士たちがそうであったし、ノア、エリヤ、モーセ、ヨセフなど聖書の中心人物たちも天に会う前はそれぞれ自分だけが味わった涙ぐましい道だった。鄭明析牧師もまた、人生における紆余曲折が多かった。


家族が鄭明析牧師を理解するまで、ほぼ30年余りかかった。その長い期間、天が隠してそうなったとも言えるが、家族の無知により苦痛と試練が増したのだった。イエス様は「預言者も家庭と故郷で認められないことで受ける苦痛が甚だしい」とおっしゃった。鄭明析牧師の人並外れた祈りの生活は普通の生(せい)と生活を願っていた家族たちにしてみれば、全て理解できない行ないと言葉だったので、その言葉と行ないは注目され、狂ったと扱われるしかなかった。


人生は走るほどもっと受けるようになり、蒔くほどもっと刈り取るようになる。もっと深く研究し、もっと深い生を生きる人は、そうではない人とは言葉と行ないが違うので当然互いに心情が合わない相手になるのだ。

鄭明析牧師もまた、天の心情と真理を一層悟って、死亡の眠りから目覚めたから、そうではない人たちの生を残念に思うばかりだった。死亡に流れていく若い人たちを世の中の目でみると、あまり差はなかった。しかし深い山の中に埋もれて1週間、2週間または1ヶ月ずつ祈ったら、死亡の世界で無価値に生きていく霊魂たちだった。


その姿を見ていると、いたたまれない苦しさと気の毒さが波を打って押し寄せてきた。そのようなときは、農業よりも、学問を深く掘り下げることよりも、官位につこうという心よりも、その霊魂たちを救いたくて耐えられなくなった。その度に鄭明析牧師はタリコルの森の中の祈祷窟をかき分け出てきて、1500~2000枚の伝道用チラシを背負って伝道に出かけた。それは誰も止めることができない道だったし、誰が見ても理解できない行動だった。

当時の農村は一日稼いで10日食べると言うほど忙しい時期だった。家では年老いた両親が明け方から畑に出ていき、星が出てから帰ってきた。そのように暮らしても田舎の味噌鍋に3杯の飯を食べて生きていくことが精一杯な月明洞(ウォルミョンドン)故郷の貧しい村の生活だった。


 しかし鄭明析牧師の道は家庭の両親とは全く異なった。その道は天がさせたことでも地がさせたことでもなく、自分で悟って、燃える心で自ら向かった命の救いの道だった。


人間は分かってみれば、誰だとしても自分の人生に親が共にすることはできず、兄弟も恋人も共にすることはできないのだ。兄弟も恋人も結局、深く見たら各自の人生だ。自分の苦痛に他人が参加することはできない。自分の道は自分が行かなければならない。しかし親は子供を自分の懐に入れて生きようとするし、目上の人が目下の人を自分の手の中に握って生きようとする。それは実際、相手の人生を殺すようなことだ。


人生は神様が各自に下さった異なる人生の道だ。それは天国に行くとしても同じだ。人生は個性の生(せい)だ。そうしてこそ絶対的に神様が自分にくださった、持って生まれた祝福を見つけて生きることができる。鄭明析牧師が、親兄弟がさせるとおりに自分の人生の道を歩んでいたなら、今日、この道を全く来ることができなかっただろう。深く祈り、悟る中で天が感動を与えるとおりに生きてきた生が今日の生になった。

鄭明析牧師が真剣に両親や兄弟と深い対話をした後、自分の行くべき道を尋ねた時、両親は

「兄たちは都市に牧会をしに行き、弟たちも金を稼ぎに行ったから、あなたは結婚して農作をして暮らしなさい。」と言った。兄たちにも自分は何をして人生を生きるべきか尋ねたが、答えを与えることはできなかった。世間のことも知らない弱いおまえに何ができるだろうかということだった。しかし、天は鄭明析牧師に無言の答えをくれた。


両親は生んでくれ、学校の先生は学問を教えてくれ、師は人生を教えてくれるが、神様は鄭明析牧師の人生の全てになり、行くべき道を横で導いてくださった。天の感動にしたがって生きていくということは簡単なことではなかった。家では家族がぶつぶつ言い、村中の人たちからも「月明洞のだれだれはこの忙しいのに狂った。」という声が上がった。


鄭明析牧師は、伝道のチラシを持って一度出て行くと、近い所から遠い所に至るまで歩きまわり、車の中でも路上でも関係なく福音を伝えた。ある日は若い青年や大学生がたくさん乗る「テジョン発チンサン経由テドゥン山行き」のバスに乗って15~20分福音を伝えた。その時伝えた御言葉は、イエスを信じて、神様を信じなさいという御言葉だった。信じてこそ心も体も楽で、来生に永遠な命を得るようになるという御言葉を伝え、また神様は自分を通して今この時間もそれぞれの命を呼び、この上なく愛していらっしゃると悟らせてあげた。


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車の中にいる人は皆、福音に耳を傾けて喜び、天があわれに思っているという御言葉に感動を受け、福音を受け入れた。その中には教会に通っていたが行かなくなった者、または教会に通っていたが「神様が私のような人も本当に必要なのか…」とやめた者、または必ず神様を信じなければならないのかと疑問をいだいていた者もいたが、御言葉を伝えると、皆感動と感化を受けて、もっと伝えてほしいとも言った。


本当に神様は伝道者を通して話してくださっていた。聖霊様は感動を下さり、主は彼らを愛してくださった。鄭明析牧師は日増しに福音を伝えることに大胆になり、口下手だったのが有能になった。それで、狭い車の中よりは広場で伝えたくなり、また全民族に福音を伝えたかった。

初めは何を話したらいいのかと顔が赤くなり、恥ずかしくて当惑もしたが、いざ御言葉を伝え始めると口が足りないほどだった。


そのように日が沈むまで伝え、バスが終われば鄭明析牧師はきびすを返して、またタリコル祈祷窟に行った。そこは楽な小さな門もなく、明かりもなく、食べる物もなかったし、コウモリまで住んでいた。しかし一日中畑仕事をして戻ってきた両親がいる家には到底帰ることができなかったので、鄭明析牧師はタリコルに足を運んだ。

特別、食べるご飯もなかった。ただ観光に来た学生たちがくれたリンゴをいくつか食べて、ひもじさを紛らわした。そして、一日の日課を霊と肉で反省してみて、次の日の計画を立てた。「明日も今日のように伝道がうまくいった所に行かなければ! 明日は方法を変えて観光に来た人とチンサンからテドゥン山まで一緒に歩きながら伝道しよう。」と決心した。鄭明析牧師は甲斐を感じた。そのようにしながら夜通し祈り、聖書を読んでいるといつのまにか腕に枕して丸くなって眠りについており、秋の夜は深まった。その時の年は27歳、鄭明析牧師の私だけが歩んできた道だった。

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2018/02/21