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ヨハネによる福音書 21章15~17節
15)彼らは食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
16) またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
17)
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」と三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
ハレルヤ!永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安を祈ります。
今日は子供の日で、主日です。それで今日は子供たちのために御言葉を伝え、信仰の子供たちのためにも御言葉を伝えます。
御言葉をよく聞いて、摂理史の指導者たちは、信仰の子供たちをよく教え、管理をしてあげなければなりません。また親たちは、幼い子供たちをよく教え、養育しなければなりません。
「子供」と言うと、人が見るときは満6才から12才までの人です。しかし、神様がご覧になるときは「知らない人」が他ならぬ子供です。「信仰が幼い人」も子供です。
子どもたちと信仰の幼い人たちは、知らないから様々に考え、あれこれとやってみます。
ところが親と指導者たちが「それではない。そのようにするな」と言って、いちいちことごとく、ねちねちと問いただして、怒り、叱り、干渉し、指導して育てます。この方法は家畜を飼育する方法です。まるで閉じ込めておいて育てるのと同じです。
子供たちと信仰の幼い人たちを教え、管理をするときは、自由にさせておいて、線を越えていくことについてだけ話をすべきです。そうしてこそ、神様と聖霊様と御子がその人にその都度感動を与えて、個性通りにお育てになります。
羊たちを牧場に放しておけば、ある羊は寝るし、ある羊は草を食むし、ある羊は飛び跳ねて遊ぶし、ある羊は歩くし、ある羊は押し合ったりもします。牧者はこれを見ながら、羊たちが柵を越えるとか、離れて行こうとするとき止めなければなりません。これが羊を育てる方法です。これが「放牧」です。
特に信仰の幼い人たちを教育するときは、教役者たちや伝道者たちや管理者たちが自分式に飼育し、指導し、管理をしたら、絶対に駄目です。自分が必ずすべきことだけを指導して、各自の個性と才能に任せなければなりません。
子供たちも、信仰の幼い人たちも、もう親や信仰の指導者たちがねちねちと問いただしながら干渉しなくても、叱らなくても、自分が自分のために必ず必要なことを行なわなければなりません。そして神様と聖霊様と御子の期待にはずれないようにすることを願います。