[本文]
マタイによる福音書 11章12節
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
マタイによる福音書 16章27節
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
マタイによる福音書 25章23節
主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子イエス様の平安を祈ります。
人生の勝者と敗者の差は、天と地のように差があります。しかしその行なったことを見ると、勝者は敗者より「もう少し」やりました。だから少ししか差がありません。それなのに「その少しの差」に他の人は追いつけないということです。勝者に追いつくためにはもう少し行なわなければならないから、勝者になるためにはもう少し行ないなさいということです。
今日の聖書の本文であるマタイによる福音書16章27節で、「行なった通りに報いる」と言いました。行なった通りにだけ報いるから、敗者は勝者がするように「もう少し」できなかったので、勝者に追いつけません。「もう少しやるか、できないか」が勝敗の原因です。
この御言葉を聞いている人たちの中には、過ぎた日に「もう少し」できなくて、自分の夢がかなわなくて、後悔する人たちが多かったです。過ぎた日には「もう少し」できなくて今まで後悔したけれども、今日「もう少しやりなさい」という御言葉を聞いてからは、行なって、今度だけは勝利をして、過去のことまで回復し、恨(ハン)を晴らさなければなりません。
今回も怠けて、積極性がなくて、もう少し楽をしようとして「もう少し」行なうことをしなければ、御子主も仕方がありません。
自分が過去に何かを「もう少し」できなくて現在その位置にいるのに、そのことを知らないでいます。過去に「もう少し」やったなら、現在はまったく違う位置にいるでしょう。
だから「もう少しだけやりなさい」この御言葉がどれほど大きな天の秘密の御言葉なのか、知らなければなりません。
もう少しやれば運命が変わります。もう少しやれば死ぬ人が生き返ります。もう少しやれば自分が住む位置が変わります。それでも、もう少しやろうとしないのですか。
少しできなくて差がついたことは、もう少し行なって差がついたことに、一生追いつけません。霊魂の運命が決まるのに、もう少しやってもう少し差がつくようにしないつもりですか。もう少しやってこそ追いつくことができます。今年は「もう少し行なうこと!」を座右の銘にして行なわなければなりません。
自分が最大限やるだけやって、その土台の上で「もう少し」やるとき・・・それが運命を左右します。「最後にもう一度!」です。