人はよく刺激的な心理をもっているから
道端でお金や包みを拾ってのみ
ついていると思って喜ぶ。
神様は隠密に行なわれる。誰にも分からないように行なわれる。
受ける人も分からないように行なわれるほどだ。
受けても分からない人は感覚のない人、精神病患者だろう。
-天の声 私の声 第3集-
始めは新郎の皿洗いに驚いて感謝していました。
今は皿洗いしてくれても、そうでもありません。
週末に幼子二人の子守をしてくれても
私は別のことをするからと言って気を使いません。
たまに帰りがけにコンビニで1本サービスの飲み物を買ってきます。
飲み物を受け取って何か商標を確認して冷蔵庫にしまいます。
結婚して5年になるのに、本当に変ですよね?
ある人は明けても暮れても愛しているのに
ある人は反応もないし、自分のことばかりして、他のことを考えます。
時には風のように、時には日常のように、染み込むように注がれる愛の前に
私は愛の神経細胞がいっぱい死んでしまったようです。
一抱え何かを抱きしめたからといって、愛ではなく、
とてもびっくりする事が起こったら興奮するわけでもなく、
私はある瞬間から愛の意味を忘れてしまったようです。
神様も聖霊様も御子も、明けても暮れても
人々に様々なふさわしい愛を注いでくださり
愛で喜ばせてくださり、興奮させてくださいます。
それなのに、人間たちは神様と聖霊様と御子に対して
心が興奮せず、自分のことばかりして生きています。
私は本当に恐ろしい病気にかかったようです。