4日間にわたる長い長い引越しが、ある程度ひと段落しそうだった。
引越センターを介さずに個人が直接やろうとしたので、包装、運搬、整理に至るまで、引っ越し期間中ずっと埃まみれで過ごす羽目になった。
そうしているうちに、垢が溜まるに溜まってきて全身がベタついた。
皮膚に何重にも重なった垢を一発で無くそうという思いで、近所の銭湯に行った。
熱い湯で程良く垢をふやけさせ、再び爽快な身体を取り戻すのだという喜びで風呂用のバッグを開けた瞬間!
なんてことだ!
垢擦りにおいて無くてはならない垢擦りタオルを持ってくることを、すっかり忘れていたのだ。
とりあえず普通のタオルで皮膚を擦ってみるが、その効果が垢擦りタオルにかなうはずもない。
引越しの荷物を整理しながら、よく目に入り、よく足で踏んでいたのに、こんなに重要な瞬間に無いのだから非常に残念だ。
だから、諺に「犬のくそも薬にしようとすれば無い。(いくらありふれたつまらないものでもいざ必要となるとなかなか見つからない意)」とある。
諺だけで終わる話ではない。
聖書には、このような聖句もある。
「テモテへの第二の手紙2章20節~21節:
20)大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。 21)もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。
器の主人は、必要に応じて器を用いる。
それなのに、必ず必要な時にその器が無かったら、どれほど慌てるだろうか?
このように、私達を創られた神様に用いられる人生になるのなら、どれほど価値ある人生になるだろうか。