[エッセイ]
/適当な和睦/
体にだけ古びた垢があると思っていたが、脳にも古びた垢が多かった。
遅れる前に脳にくっついた古い垢をすっきりと落とさなければ。
「兄弟と和睦できなかったことを悔い改めましょう。」
牧師の御言葉にすべての人たちが眼を閉じて祈った。
しかし私の頭には、特別に思い浮かぶ人はいなかった。
「誰のことを悔い改めるべきなのかな?思い浮かぶ人がいないのだけど…」
数日後、教会の知り合いから連絡が来た。
「兄弟と和睦しなさいとは、どういうことなのか?」
知り合いの突拍子もない質問に、これといった返事ができなかった。
すると、知り合いの口から思いもよらない返答が来た。
「私が昨日、親の集まりで、
兄弟に悔い改めることがある人は手を上げてみてと言ったら
手を上げる人は誰もいなかったの。
それなら、この人たちは皆、愛が満ち溢れて、和睦してるのか?
というと、そうでもないのよ。
だからもう一度聞いたの。
心で兄弟を憎んだり、誤解したり、よくない心を抱いたことがありますかと。
そうしたら、全員が手を上げたの。
それで深く考えたわ。
一体、和睦の基準はどこなのかって。」
知り合いの話を聞いて、知らないうちにため息が出た。
私も和睦しなさいというと、争わない程度、敵対視しない程度にだけ考えていた。
もちろん、生活していると本当に気に食わない人、
その人の行ないが目につく人がなぜいないだろうか?
でも社会生活だから、大人だから、
黙認しているだけで、嫌な心までなくなるのではなかった。
私もその人の行動を見て、近くしたくない人が何人かいた。
それで私が選択した方法は、ただ離れて過ごすことだった。
挨拶もするし、集まりをするときは交わるが、
それだからといって、その人と和睦して過ごすのでもなかった。
単にその程度の線であれば、互いに争うこともないから、私は個人的に楽だった。
このような姿は、私は楽だが、神様はいかがだろうか?
人の根本を見通される神様はとても気まずいだろう。
人類に熱い愛の歴史を起こさなければならない神様は
適当な和睦で満足する信徒たちを連れて、どんな火を噴き出すことができるだろうか。
考えを変えると、和睦できていなかった人たちのことがたくさん浮かんだ。
体にだけ古びた垢があると思っていたが、脳にも古びた垢が多かった。
遅れる前に脳にくっついた古い垢をすっきりと落とさなければ。