[エッセイ]
全地球の生命を思う方がいるが、それは神様だ。
うちに熱帯魚のモリー3匹が来た。
お腹がぷっくり膨れた奴らは、見た目もとてもかわいい。
その日の夕方、上の娘が「モリーが赤ちゃんを産んだ」と声を上げた。
行ってみると1匹見えた。
詳しく見てみると、もう2匹いたが、死んでいた。
そして少し後にもう1匹の赤ちゃんも死んだ。
娘はとても悲しんで、わぁわぁ泣いた。
いたずらに、うちに来たせいで死んだのだと。
もしかして水が冷たくて死んだのかもしれないと分厚いマフラーを水槽に巻いてやっていた。
そのような娘の姿を見ると、私が幼かった頃が思い浮かんだ。
幼い時、私が育てていた猫「ミャー」が夜の間に歯磨き粉を食べてきて、私の横で死んでいた。
かちかちに固まった猫を抱いて練炭の焚き口の横に置いた。
暖かくしてあげたら生き返るかと思って。
娘と私が魚と猫の命を思ったように、全地球の生命を思う方がいるが、それは神様だ。
神様はこの世の全ての人を愛され、命が上手く生きられるように、その暖かい愛で地球を暖められる。
すべての命が寒くないようにと暖かい息を、手をいつも伸ばしてくださる。
魚を失って悲しがる娘は分かるようになるだろう。
指の一関節よりももっと小さな熱帯魚1匹でも神様が顧みて大切になさるということを。
そして神様が何よりも自分を愛して下さっているということをだ。
そう考えてみると、うちにある水槽3つはただの水槽ではない。
今夜、私の足は水槽を温めるヒーターを買いにマートに向かう。