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神様の構想にしたがってby 도토리

 

 [エッセイ]

生まれつきの天才、栗谷李珥

/神様の構想にしたがって/

既に作られた家はその構造を変えることができないように、

人生も最初からきちんとうまくつくらなければならない。



偶然、栗谷李珥(りっこくりじ。栗谷は称号の名称。李珥は本名。韓国の5000ウォン札に書かれている人物。)についての文章を読むようになった。


9回も科挙を首席で合格した、生まれつきの天才、栗谷李珥。

彼を朝鮮の大学者であり、ずば抜けた政治家にしたものは何だろうか?彼の天才性だろうか?


彼には、母親である申師任堂(しんしにんどう。称号は師任堂)がいた。

朝鮮時代の女性としては異例の、漢文書籍を読むことができた申師任堂。

彼女を通して、栗谷李珥は幼い時から、文学と芸術に接して学ぶことができた。


また、彼は当世に自身と共に朝鮮の性理学の2つの柱を成した、李滉(りこう。1000ウォン札に書かれている人物。)に出会った。

出会いは1度であり、学問的な見解は異なっていたが、

互いの学問を認めながらやりとりをした手紙は、彼にとって大きな学問的な助けとなった。


そして、自身を認め信じてくれた先祖と友人たちがいた。

4度の士禍(しか。李氏朝鮮中期の「士林派」に対する政治的迫害事件。)が終わり、士林派が勢力をつける時期に活動していたことも

彼にとっては良い環境であったことだろう。


彼が育ちながら出会ったこの全ての人と環境が、彼を偉大な学者に、政治家に成長するようにさせたのだろう。この中で何か1つが抜けたなら、彼の人生はまた変わったものになっていたのではないだろうか。


立派な子どもは生んでつくるのであり、立派な人は生んでつくるものだといった。


生まれつきの気質と才能もよく見なければならないだろうが、育ちながら「どのように作っていくのか」が重要だと考えられる。栗谷李珥は並みならぬ才能を生まれ持ち、それをうまく育て、偉大に使って生きていった人だ。


私は、私をどのように作っていっているのだろうか?私の愛する子どもを、どのように作っていっているのだろうか?

既に作られた家はその構造を変えることができないように、人生も最初からきちんとうまくつくらなければならない。

精密に詳しく見て、完璧な構想で完璧に行いながら作っていかなければならないが、

私の足りない知恵と知識では自信がない。


今日も私は、祈りで天をつかむ。


どうか私の構想ではなく、神様の完璧な構想に従って

私と私の子どもを立派な人に、立派な子どもにつくってください。

ちゃんと、欠点がないようにつくり、天が貴く使う人にならせてください。






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날짜
2014/11/07