[御言葉] 鄭明析牧師
[本文]
マタイによる福音書13章19節、23節、
19)だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
23)また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
マタイによる福音書15章10節、16節
10)それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた、「聞いて悟るがよい。
16)イエスは言われた、「あなたがたも、まだわからないのか。
ヨハネによる福音書8章43節
43)どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。
ダニエル書10章12~14節
12)すると彼はわたしに言った、「ダニエルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心をこめ、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしは、あなたの言葉のゆえにきたのです。
13)ペルシャの国の君が、二十一日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシャの国の君と共に、そこに残しておき、
14)末の日に、あなたの民に臨まんとする事を、あなたに悟らせるためにきたのです。この幻は、なおきたるべき日にかかわるものです」。
ハレルヤ! 永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安を祈ります。
御言葉を伝えると、人々は二通りに聞いて学びます。
一つ、肉的に学問を学んで知識を積むように学ぶ人がいます。
二つ、魂的な次元で悟りながら、霊的に御言葉を聞いて学ぶ人がいます。
悟りながら学べば、心と肉の行ないがよく変化し、それに従って魂も霊もよく変化します。御言葉を聞いてすぐに感動が大きく来るし、聖霊の御働きが起こって熱く感じられ、実際に聖霊の火が来ます。
悟ること自体が「火」であり、「心情」です。
魂的に学んで悟る人になるためには、すべきことがあります。
一つ、教会に来る前に祈らなければなりません。あるいは、教会に着いてからでも、御言葉を聞く前に必ず祈らなければなりません。御言葉をよく聞いて悟りの次元に上がって霊的に聞けるようにしてくださいと、事前に、切実に祈らなければなりません。
二つ、御言葉が始まる前に讃美をするときと、御言葉を始めたとき、心・精神・考えを集中しなければなりません。
「悟ること」とは何でしょうか。
「悟ること」とは「自分で分かること」です。「学ぶこと」は「人が教えて分かること」です。
学んで分かるのではなく、自分で分かるようになるとき、衝撃を受けます。
みんな御言葉を聞いて自ら悟って、自ら分かって、正しく行なわなければなりません。誰でも悟って自ら行なう人がそれほどにも大きいです。
貴重な命の御言葉を聞くとき、本当に悟ることを祝福します。御言葉を聞いて悟って、自ら行なうことを祝福します。