3文(もん)コラム by BON局長

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蛇の息子と人の息子

『はじめに神は天と地を創造された。(そしてそれを)神は見て、良しとされた。』


創世記1章は、神様の「御働き」を最も簡単明瞭にうまく表した章だと思います。


神は天と地を創造された。

神様が天地を「創造」(無から有に)されましたが、この過程において、他のいかなる存在も協力したり介入したりしなかった完璧な「独自性」を表したのであり、


神は見て、良しとされた。

これ(天地創造)に対する評価においてもやはり、唯一ご自身だけで評価をされましたが、その結果をもって「良し(※1)」となさいました。すべてのことが、創った者の望み通りに「作動」したということなのでしょう。

(※1…韓国語の聖書ではこの部分が『非常に良かった』と記されている)


完璧な歴史となるために…


よく考えてみると、この「創造使役」は完璧に見えますが、別の角度で考えてみると、実際は自分ひとりでつくって自分で「非常に良かった」と自評している状態に見えるかもしれません。


この「使役」が完璧なものとなるためには、実際に創造主が創造された「天地」の中で生きながら享受し、実際に「非常に良かった」ということを客観的に評価し、立証してくれる「誰か」がいなければなりません。

そして、その「誰か」は、創造主と水準が近ければ近いほど、その「評価」が持つ意味がより大きなものとなるでしょう。


だからこそ神様は、ご自身の形象通りに、あらゆる万物の中でも卓越した存在として「人」を創られ、「生み、増え、地に満ちて、万物を治めるように」させてくださったのであり、これを通して「人」は創造主の偉大さをわかって賛美し、さらに、創造主を愛することができるほどの対象体(それほどの水準に達した)として「完成」してくれることを期待されました。



蛇の介入、堕落


しかしこの時、蛇が登場し、この「人」を「堕落」させてしまいます。


「堕落」の過程を詳しく見てみると、

まず「蛇」が人を「誘惑」します。「誘惑」(善悪を知る木の実を食べると、目が開け、神のように賢くなる)を聞くことで、これを受け入れた瞬間、「認識」(食べたら自分は神のようになるのだな、これを禁じられたのは人が神のようになることに妬みと嫉妬を感じられるからなのだな)が変わります。


この「認識の枠(Frame)」が変わると、見聞きするものに偏向(Bias)が生じます。自分が見たいもの、自分が聞きたいものを隠れて見聞きし、該当する「誘惑」が一層「強化」されるというプロセスが生じるのです。


実際、エバが見るに、善悪を知る木の実は食べるに良く、目に美しくもあったため、その誘惑の言葉が非常に知恵深いものであると「確信」するようになりました。


この偏向による「強化(確信)」は、結局、神様の御言葉(真理)に対する「歪曲」を生じさせることとなります。(「きっと死ぬであろう」から「死ぬかもしれない」に」)

結局「御言葉」が変わると、それにより間違った結果(行為)が生まれるようになりますが、これを「罪、堕落」と呼ぶことができるのだと思います。


このように、「誘惑の受け入れ ― 間違った認識の生成 ― 偏向による強化、確信 ― 真理に対する歪曲 ― 犯罪行為」という過程があるが故に、人々は、実際は蛇の考えと認識通りに生きているにもかかわらず、自身の認識と考え通りに生きているのだと錯覚するようになるのです。


そして、鄭明析牧師は、このすべての過程が「瞬間」に始まり、急激に展開するということを教えてくださり、「瞬間」をつかむことについての重要性を特に強調しておっしゃいました。

 

 

瞬間

誘惑/許容 ― 認識/変化 ― 偏向/確信 ― 真理/歪曲 ― 犯罪/行為



人の子が広げる偉大な歴史


アダムとエバの「瞬間」の判断、失敗により、この時から蛇の子孫(蛇の誘惑を受け入れた結果物)と、人の息子(偉大な創造使役の完成を成す対象体)の間で、長久な闘争の歴史が(「カイン」と「アベル」から)始まることとなりました。


「人の息子」は、蛇の「頭」(誘惑、間違った考え)を踏み砕き、「蛇」は「人」のかかとを砕いて躓(つまず)かせる(堕落)「戦争」が始まったのです。


完璧に神様の歴史を完成させるためには、「人」が完全無欠な神様が働かれることを絶対に信頼できなければならず、ふいに訪れる誘惑の「瞬間」を、蛇の頭を踏み砕くように果敢に切り落としてしまわなければなりません。


そして、毎瞬間、自分自身の体と心を、ただひたすら天の御旨に向かうようにつくらなければなりません。

これが、「主の帆をつけること」であり、蛇の頭を切り落として「龍の頭をつけること」です。


蛇の体(息子)になるのか、人の心(人子)となるのか、その運命が「瞬間」で決定づけられます。


創造目的通りに「作動」する人生こそが、まさに「良しとされる」成功の人生となるのであり、ただ天の御旨とその方向通りに毎瞬間をつかんでいくことを連続する歴史こそが、蛇の頭を踏み砕く偉大な人子(人の息子)の歴史になるのです。

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날짜
2017/06/18